私(筆者)と桜井理恵子との出会いは、新潟フランス協会パリ支部と新潟日報社欧州国際交流拠点開設の一周年記念の会場だった。パリ市内のセーヌ川を見下ろせる歴史あるホテルが会場であった。
私は南魚沼市(旧六日町)の生まれであり、同県人のパリ在住の彫刻家原田哲夫氏の誘いで会場に伺ったが、このような機会を通してパリと新潟県の交流の時を楽しむことができた。その会場で、城下町新発田市出身の理恵子は凛とした眼差しと美しい声で司会を務めていた。彼女が発する何かに私は惹きつけられ、会の途中で声をかけた。そしてそれがきっかけとなり今回インタヴューをすることになった。
この日、パリから電車で約25分の郊外、彼女が住む中世の街ブルジョア感が漂い白鳥が羽を休めるマルヌ川沿いの街を訪れた。彼女は白のオープンカーに乗って、駅に着いた私を優雅な笑みを浮かべて迎えてくれた。それはまるでマリー・ローランサンの絵から抜けでた女性のようで、そこに透明感のある風景があった。
桜井理恵子(右)と筆者トモコ(パリにて)
新潟日報社・小田敏三社長(パリにて)
白いオープンカーに乗って出迎えてくれた
いきいきと生きていたいから……
「物心ついた時から遠く離れた世界、まだ見たことのない国や人への興味に溢れていました。自分と違う文化で育ち、違う言葉を使って生活している人たちと自由にコミュニケートしてみたいと思っていました。ですから『外国語』と付く大学で、日本の文化を継承している古都・京都で勉強したいと思い京都外国語大学に入学しました。その中でも未来の国と言い続けられて久しく日本との関わりの強い国ブラジル、また日本にとって初めての西洋の国ポルトガルの言語・文化・政治を専攻しました」
彼女は5カ国語(英語、ポルトガル語、イタリア語、フランス語、日本語)をビジネスレベルにまでマスターしていて、それぞれの言語の国でメディアの取材コーディネーションを中心に仕事をしている。
そしてイタリア歌曲、オペラ、フランスメロディー、教会音楽、バロック等のクラシック、ファド、ジャズ、映画音楽等ジャンルを超えた音楽感性でそれぞれの言葉で歌うことができる。単に音として各言語を発音するのではなく、真に各国の言語、文化、人々の心を理解しての歌唱である。そしてそこに日本人の繊細さが加わって各国の音楽関係者をうならせ、聴衆を魅了するのであった。
また運動能力にも長けていて、水泳、陸上も得意で剣道もたしなむ。加えて、2つのミスタイトルと幾つかのビューティーコンテストの入賞を果たすほどの美貌と洗練されたスタイルを持ち、この世にこんなにも恵まれた女性がいるのだろうか!と思わせる。彼女の多分野へ挑戦していくひとつの答えは「いつもいきいきと生きていたいと考えていますから」であった。
彼女の専門分野は一体何か!など絞り込むことはできないほどそれぞれの分野への発展ぶりが分る。多くの人はたったひとつの事を成し遂げるのにも四苦八苦している。しかし彼女はひとつにこだわらず、投げ出さず、やりたいと思うことはとことん努力して高度なレベルに持っていってしまっていた。
納得するまでやる
彼女の大学時代からの個人史をたどると、大学在学中にモデル・タレントのプロダクションと契約し、TVレポーターやCM撮影の仕事を経験。卒業後は、出身地新潟県のTV・ラジオ局の専属レポーター、司会、インタビュアーとして活躍。その最中に外務省外郭団体主催の在外交官国外派遣員に合格し、それから数年間、在ポルトガル日本大使館勤務となり国内外要人のコーディネイト及びアテンドで手腕を発揮した。その後イギリスでマーケティングディプロム取得後、ローマで日本のTV番組制作及び雑誌取材班のコーディネイター兼通訳として活躍した。同時にフリーアナウンサー、レポーターとしてもメディアに度々登場。その後渡仏し、フランス国立社会科学高等研究院博士課程前期に1年間在籍し、パリ高等音楽院の声楽科プロフェッショナル上級クラス準備過程を修了した。
「目標を決めたらそれに向かって自分が納得できる結果を出すまでやらないと気がすみません。例えばイタリアからフランスに来て、2週間でフランス語習得のための王道と言われているソルボンヌの文献数冊を全てこなしました。博士課程に受け入れてもらえるための言語レベルを限られた時間に証明する必要があったからです。『あなたは他のラテン言語を知っているから楽よ』と、周囲の人たちに言われましたが、ラテン言語を勉強して身につけたのと母国語として身についている人は同じにはなりません。思えば、あの時期は家から一歩も外に出ずに酷な時を過ごしました。一時もフランス語の活用やイディオムの暗記以外のことは考えませんでした」
外大でラテン語に接触してから常に語学暗記に頭を使う訓練は出来ていたが、博士課程試験の合格の後は暫くフランス語習得に使用した文献は目にする気にもならず、本棚の奥の奥に仕舞い込んだという。「このお話をするだけでもまだ息苦しさを覚えます。まだつい昨日のように感情が戻ります」
しかし、どの国に居ても、コミュニケーションの根本である言語の習得にはこだわったと話す。「やはり基本的な理解だけに留まらない細かいニュアンスまでの理解には言葉が重要です。心と心のコミュニケーション、人と人との触れ合いには不可欠な要素だと思います。曲の歌詞の一字一句の歌詞も同じことと思います」
言葉と音楽は人の心に触れることができる2大要素
「3歳の頃からピアノは習っていましたが、『声楽はまだ始めたばかりです』と言うと、パリ音楽院の先生も信じ難いという顔をされました」とはにかんで笑った。
歌は子どもの頃から好きで何か機会があると参加し商品稼ぎを楽しんでいたそうだ。オーディションに応募し数万人の中から選ばれ、数社の大手レコード会社の最終オーディションを受けに上京した経験も何度かある。
「オーディションに参加しながら音楽を通じての人々の心へのコミュニケーションに対する思いは増していきました」。言語を通じてのコミュニケーション以上に、より感情的、情緒的な部分を埋められる要素が音楽にあった。学生時代のその想いがいつも胸の底にあった。
「数々の違う分野でのプロとしての経験の後もやはりその思いは消えません。人生にやり残したことを残してはいけない。今やろう!と一気に奮い立ったのが、今から一年前のことです」
そして、ポルトガル音楽界の巨匠ジョルジュ・フェルナンドも彼女がリメイクした日本語ヴァージョン「きっと… セラヴィ(オリジナルタイトル Ai Vida)」を絶賛し、パリ公演の際に彼との共演の示唆を受け、見事に彼の初の外国人公認カバーシンガーの契約を射止めた。これは同時に初の公認日本人日本語ファド歌唱シンガーでもある。同曲は10月に完成予定のCDに収録され、ジョルジュ・フェルナンド及び、ポルトガルの音楽出版社を始め、メディア関係やリスボンの有名劇場(Teatro Iberico Lisboa:www.teatroiberico.org)のアートディレクターらも完成の連絡を待ちわびている。
「CD完成を待ち、ポルトガルはもちろんフランス、他ヨーロッパ諸国、そして日本でも聞けるよう広報を開始する予定です」。同曲のポルトガル語&日本語ミックスヴァージョン Ai Vida!(Transparente Time)は彼女のYoutubeでもデモヴァージョンではあるがネット上で試聴できる。フランスイタリア交響楽団団長から「バロック、教会音楽向きの聖なる声」と賞賛を受け、モナコ、ニース、フィレンツェでのコンサートに出演。彼女のカッチーニ「アヴェ・マリア」に観客は涙し、オンブラ・マイ・フで勇気を与えられたという。
そして、今年の8月にはフランスイタリア友好音楽会に初の日本人ソプラノとして招待を受け、ヨーロッパの友好の中に日本の香りを届けた。彼女の歌う「ソフトクラシック」の意味は、クラシックのテクニックを採り入れて、現代音楽、ワールド音楽をも歌唱する音のカクテルである。彼女の思いは一人でも多くの人々の心に届く音楽を届けるために舞台に立つことそのものであり、その理由を取材を通して知ることができた。
「私は音楽を通して私が感じることを曲に入り込み、声のみならず身体の全てで表現します。ですから目を瞑らず私の動作、表情の全てを見ながら音を感情を楽しんで頂けたら嬉しいです。パリのエコールで学んだ声楽のテクニックのみならず、私の今までの人生の経験、職業の全てが私の音楽の表現に繋がっています。ひとつの言語や文化、ひとつの職業にこだわらず、幅広く自分の好奇心に従って努力してきた結果が今に繋がっていると思います。私の音楽で、私の声で、どこかで誰かが心の安らぎを得られたり、少しでも幸せな気分になれたら……。ただそれだけの思いから純粋に歌って行きたい」
国も言葉も異なる人々を魅了して止まないマリー・ローランサンの絵から抜けでた不思議な美しさを持つ女性が、また見えたような気がした。
伊仏交響楽団アンリアルベール団長と桜井理恵子
伊仏交響楽団と桜井理恵子
ジョルジュ・フェルナンドと、日本語カバーヴァージョン公認歌手&公認日本語作詞家としの契約成立時
これから日本、ヨーロッパ市場を狙う心をくすぐる一曲
CDバックジャケット。シャンソン、映画音楽、ファド、ジャンルを超えた心に優しい一枚
「Legato」CDジャケット
「Legato」CDジャケット裏
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)