温和で口数の少ない稲葉さんとはXEPO会場でよくお会いした。彼は長年「在仏日本人会アーティストクラブ(NAC)」の会長を務め、昨年より「コンパレゾン展」(パリ・グランパレが会場)の日本セクションの責任者となり、多忙な日々を送っている。
私が知っている彼の作品は主にビールやジュースの缶を使用したもので、缶の色感とつやを利用して面白い独特の世界を表現している。インタビューを通して初めて知った彼の内にある情熱と多種多様のヘビーな材料を使用したハードな仕事をしていることを知った。
稲葉 猛
稲葉氏の作品の横で筆者トモコ(アトリエで)
アトリエでデッサンする稲葉氏
材料庫にて
ピュトーの町から見たラ・デファンスのビル街
油絵具は「使いこなせない」ことが分った
何故パリに?の問いに「それはそうでしょう、あの頃、日本中のアーティストが皆パリへなびいていましたから」と当然の様に答えた。
1943年兵庫県生まれ、武蔵野美術大学油絵科を卒業し、68年25歳の時に新婚の奥様とパリへ。しかし彼は慎重だった。すぐにはパリに入らず、北欧のデンマークやノルウェーで3年半ウォーミング・アップし、その後フランスのアンジェ(Angers/パリから西へ300キロ弱)でフランス語の勉強をしてから、76年に念願のパリへ。
その後、パリの隣町のピュトーに「永住すること」を決めてからすでに30年以上が経過した。日本を離れ約48年、幾多の困難を乗り越えてこの地に足をつけている稲葉氏の強い意志と自信が顔に表れているようだ。
「2018年に郷里の豊岡市(兵庫県)で、私の滞欧50周年の展覧会が、市の企画によって行なわれます」と嬉しそうに顔をほころばせた。
「ヨーロッパに来て分かった事は、油絵具は私の体質に合わず、使いこなせない。長年の紙と墨の文化の国から来たのを再認識したのです」
私も同感である。彼の言葉はよく理解できた。初めて世界の土俵に上がったレオナルド・フジタでさえあんなにこの油絵具という材料と闘ったのに、やはり無理であったのではと思われるほどである。
ビール缶に魅せられ
「初期はここで和紙で墨や水彩等作りましたが。1990年代、ビール飲みながら歓談していた時、缶の色の美しさに魅了されたのです。特に赤い色に。ビール会社により赤でも微妙に異なるのです。特にクロネンブルグの缶の赤は特別です。この缶はアルミニウムと鉄で出来ており、欠点は錆びる事です。他の缶はアルミニウムだけですから、これは溶けるのです。廃品利用も兼ねて作品を作りましたね。変色を避けるために仕上げに特別なニスを塗って完成させます」
始めて聞く缶の話が次々出てきた。缶の材料を説明する時の彼の生き生きした表情は、好きなことをやれて嬉しくてしょうがないというような、まるで少年の顔のように輝いていた。
「まず紙にデッサン、次に木の板に描き、日本の彫刻刀で彫り、または新聞紙と腑糊で煮た紙粘土で凹凸を付け、和紙を張り、うさぎの膠を塗ります。そして缶を切り一番底の中側から極小の釘で打ちつけていきます」
作業を説明しながら実演してくれた。25×25cmの作品を仕上げる時間は、約1週間くらいかかるという。ゆるぎない感性と集中力と忍耐のいる作業である。
作品の制作
最も難しいことは魂を植える事
「この左の大きいのは(92×73cm)、1ヶ月間で仕上げましたよ」。ベテランの彼だからこそすばやくスムーズに出来る。
「しかし材料はただ缶だけでなくて色々な物を使用します。缶作品は半立体ですが、限界があるのです。例えば大きい広いものが造りたいのですが、もちろんつぎはぎです。彫刻も好きで、材料は例えば鉄片・つげの木・陶器などが好きで、大きな立体も造りますが、硬くなるとやはり難しさが倍増します。しかし墨も好きで、和紙もよく使用します。やりたい事が沢山あり、自分の表現したい事がどんどん出て来ます」と、あふれる創作意欲が熱く伝わってくる。
「しかし、創作するうえで一番難しい事は、自分の心、すなわち精神、魂をいかに作品に植えるかです。それには作り続けていないとダメです。経験も大事です。そうそう、2004年にパリ14区のチャペル「ラ・シャペル アソンプシオニスト」に、私のデッサンによるステンドグラスを頼まれ作りました。テーマは『天地創造』です」。チャペルの重要なステンドグラスが日本のアーティストによってガラスの一枚板の重厚な作品に仕上げられた。
自宅から近いアトリエに通って1日中作品を作っているが、時間がいくらあっても足らないと話す。まさに充実した芸術家人生であろう。
教会のステンドグラス『天地創造』
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)