ポンピドー・センターの裏側にある、メトロ・ランビュト近くの何世紀も続く細い道を入っていくと、マレ地区の落ち着いた静かな空間が目の前に広がり、この一角に「パリ人形博物館」がある。私は以前からこの博物館の存在は知っていたが、今回初めて足を踏み入れた。その建物に入るまでの数メートルの石畳と周囲の造りは素晴らしく、しばしパリ中心部の都会の喧騒を忘れさせてくれた。
小さな博物館の中は人形が年代ごとに横幅1メートル半位のガラスケースの中に陳列してある。ただこれだけでも独特な人形の世界という幻想的な雰囲気があり、マレ地区と人形の館の関係もピッタリと合っていりように思えた。
博物館入口で館長のサミー・オーダン氏
博物館の外観
オーダン氏と筆者トモコ・kオベール(左)
イタリア人人形師の父の影響で
「僕はイタリアのポルト・ヴェッキオ生まれのイタリア人ですが、絵画や写真のアーティストであった父親と、その周囲のアーティストたちにかなり影響を受けました。イタリアの歴史的な背景からくるアンティーク家具や人形作りの人たちに囲まれて育ちました。幼い頃から人形作りを目の当たりにしてその不思議な世界に魅了され、そして80年代にイタリアで、父や私のコレクションを主にした小さな人形博物館を始めました」
その後パリに移住し94年に「パリ人形博物館」を開館したのだが、幼少時の家庭環境と彼自身の感性が一致し、ついには博物館を創設するまでに至ったのである。
「人形のために世界中どこにでも行きます。特にヨーロッパではイタリア、ドイツ、そしてフランスです。良い人形を見つけたり、買い付けたり、サロンに出品したり、そして人形についての講演を依頼されたりしています。もちろんコレクターとの繋がりがあります」
彼の情熱は幼い頃から親しんだ人形への愛着があふれていた。フランス人形の原型は、ルネッサンス期(15世紀)のイタリアの優秀な彫刻家であり人形師により制作され、上流階級のマネキンのような役割でフランスに波及したといわれている。やはりイタリア人である彼の目利きは、先祖から受け継いだ伝統と血筋であったのか。
No.1の部屋。1880年代
右の小さい人形が胡粉(ごふん)製の日本人形
19世紀中頃の動物のぬいぐるみと切れ端人形
19世紀中頃
19世紀中頃の陶器製人形
19世紀中頃の蝋人形
人形をトータルに見る
私はオーナー館長のインタビューの日程2日前にこの博物館を訪れた。部屋が1から4まで、それぞれの部屋にいくつも展示ケースがあり、1800年から始まり1954年頃までの人形が展示されている。写真の許可を得て中をじっくり見て回った。1800年代のアンティーク・ドールの宝石のような輝きに息を呑んだ。顔は紙パルプ・陶器・ロウで体は木製、当時の上流階級の流行の最先端の衣装を着せている。上流階級の子どもたちの教育や躾などに使うためにも高額な価格で購入されたようだ。
また、人形がさらに小さい人形や衣類や、アクセサリーを持っているのにはびっくりした。人形が遊ぶための人形であり、人形のための衣類やアクセサリーのミニチュアが本物と同じように制作されていた。はめ込まれたガラスの目がジーッとこちらを見つめているような気がした。
博物館で何人かの年配のご婦人が愛おしそうに人形を見ていた。かつて自らも手にしたことがあったのかもしれない。戦争のたびに大事な家具や玩具の類は消滅していった、残された人形は大切に修理されつつ生き延びてきたが、いまや、ジュモーの手がけたビスク・ドールなどは子どもの玩具ではなくて美術品となっている。
1910年代の人形の展示の眼が全部よそを見ているのはなぜかと疑問に思っていると館長が説明してくれた。
「1910年代は無声映画やパントマイムの影響で皮肉やユーモアから眼が別の方向に向いているのが多いのです。その後は、バカンスが一般大衆化されると持ち運び便利で、風呂、プール、海などで濡れても大丈夫な人形などを造りました。それぞれ時代の流行を必ず出しています。服装、帽子、バック、あらゆる身の回りの物などもです」人形が一般的になると生活用品も人形の中にも入ってきた。
「戦争中は材料もなく貧相な人形ばかりでしたが、ユーモアのあるものが人気でした。やはりせめて人形だけでも面白おかしくして、ほっとしたかったのでしょう。それと黒人や黄色人種や他のエキゾチックな人種の人形も出てきました」
人形は女の子にとってなんだったのか?の問いに「遊ぶのはもちろんですが、鏡を見るように自分のモデルにしたり、自分の願望を人形に託したりしたのです。自分と同じ年齢の人形を所有すると言った事が流行したこともありました。博物館のコレクションは、子どもの遊びのためと大人のコレクション用とがあります」
女の子の遊びのためなので男の子の人形は少ないが、ガラスケースの中にはピエロや水兵などの男の子の人形もある。展示は常設展と、何ヶ月かごとにテーマを決めての企画展示があり、現在のテーマ展は「動物のぬいぐるみと切れ端人形」。4月1日からは「1980年代の人形展」である。
No.2の部屋。20世紀初頭でべビーシッター人形
No.2の部屋。20世紀初期で学校の授業の様子。できない子が先生の横に出されロバの帽子(馬鹿な子)を被らされている
No.3の部屋。大きな展示ケースがある
No.4の部屋。第2次世界大戦後でセルロイド製
これからの人形の世界
「今一番活発な人形ビジネスはアメリカです。アメリカのコレクターや、展示会、サロンなどによく招かれて出席します。またアメリカの雑誌や新聞などのコメントの要請があります。アメリカの大都市でしたらどこでも人形の人気がありますね。この博物館でもアメリカのバービー人形展や他のアメリカ人形展も開催しました。昨年12月にはパリ日本文化会館で「Kawaii」のシンボルのリカちゃん人形(父が仏人、母が日本人の設定)が100体が展示されました。これはリカちゃん誕生50周年記念を一足先にパリで行なったのです。とても楽しくて良い展示会でしたよ」
今も新作は作られている。子どもたち向きと、コレクターたち向きの人形を人形創作者が日々考えているという。
「以前より需要も減り、人形創作師も減ってきているので継続維持が困難です。ここには人形クリニックもあり専門家が直していますし、年代物の作品の価値判断と値段等も相談に乗っていますが、それが出来る人がパリでもすでに2、3人しかいません」
昔私達のアパルトマンの前に1人で住んでいた年配のマダムが、自分のベッドに30㎝ほどの人形を3体程寝せていたのを見てショックを受けた事があった。何が原因かは知らないが、2人の娘と疎遠になって寂しくしていると言う話をオーダンさんにしたら「家庭の悲劇から来ている問題を人形で慰めているのでしょうね」
私は人形を見ていた時、人形たちがヒソヒソ話をしている様な感じがした。人形たちは決して沈黙していないのではと思えてならなかった。
「そうですか、それはあなたがキャッチして感じとることができたのでしょう」と館長は嬉しそうに言った。
水・土曜日に子供たちの人形のクラスがある。紙人形を作ったり、人形の塗り絵や人形の話を聞いたりしている。隣には売店があり人形や人形制作に関するあらゆる物がそろっている。
オーダン家の人形で、4歳のサミー・オーダン(後ろに写真がある)、右がお母さん、左がおばあさん。それぞれ写真から60年代に作られた
4歳のサミー・オーダンとお母さんの人形
展示室の様子
展示室の様子
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家・ミレー友好協会パリ本部事務局長)