アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「電子版パリ通信」No.60

コロラトゥーラ・ソプラノ歌手-今井 あい【IMAI Ai】-

新潟フランス協会パリ支部の会合で出会った今井あいさん、いつも笑顔でよく笑う女性である。まるで健康優良児の学生というのが私の第一印象であった。それにしても化粧や服装がその辺の若い女性とは違う。ドングリマナコで時々斜めから見あげる目はとても艶っぽい。会の終わりの頃、責任者の要請で彼女が歌曲を歌った。そこで初めてソプラノ歌手と知った。

クリスマス近くの日、いつもと異なるパリの華やかな雰囲気のあるカフェで白いおしゃれなハーフコートに黒のタイツそして赤い帽子のあいさんが、いつものように満身の笑顔でカフェに現れた。

パリのカフェで。ソプラノ歌手今井あい

世界で活躍する女性外交官を目指し法学部へ

「私、好奇心が強く小さい時から海外にあこがれていました。知らない世界に行ってみたかったのです。私は3人兄弟で、11歳上の姉、7歳上の兄がいます」

新潟の大きな薬屋を両親が経営しており、歳の離れた末っ子として「目の中に入れても痛くない」ほど両親からの愛情を受けて育てられたようだ。あたかも何の悩みもないような真っ直ぐで朗らかな笑顔だ。

彼女は新潟高校を卒業後、学習院大学法学部に入学、4年間東京に在住し法学部を卒業した。

「中学生の頃、現在の皇太子妃雅子様の生い立ちや外交官という仕事など知り、世界で活躍する日本女性がいることを知りました。とても大きな刺激を受けて、世界を目指したいと思うようになりました。外交官になれば海外に行くチャンスがあるのではないかと考えました。歌のレッスンを始めたのは、中学の音楽の先生に歌の才能があるから、是非声楽家を目指してほしいと言われたため、自分に人から認められる才能があるなら、その才能を開花させてみたいなという気持ちから、外交官を目指しつつも、歌のレッスンを始めました」

しかし、その頃は、自分がどうしてもやりたいという気持ちではなく、人の勧めで、気持ちが受け身だったため、歌うことは大好きだったが、プロを目指すほど本気にはなれなかったと話す。

「ところが、オペラの椿姫を観たときに、素晴らしい歌唱、舞台、衣装、音楽、すべての芸術を融合させた総合芸術で、私の本当にやりたいことはこれだと思ったのです。それでも、音楽の職業の不安定さから、迷った末、法学部へ進みました」

筆者トモコ(右)と

ニューヨークで声のトラブルに

4年間、個人レッスンを受けながら、やはり声楽の道を諦めきれず、大学卒業と同時に声楽をさらに本格的に学ぶために単身渡仏した。フランス語は大学時代に少し学んでいたが片言だったという。「それより学生時代に行ったローマでの歌のレッスンでイタリア語の方が上手になりました」と笑う。現在はイタリア語、フランス語を含め5か国語を駆使している才女である。

パリで2年間スコラ・カントルム(*1)で学び、その後、N.Y.(ニューヨーク)のマンハッタン・スクール・オブ・ミュージックで2年間研鑽を積む。

「N.Y.に行った理由は、マジョルカ島で講習会があった時、N.Y.から来た素晴らしい先生に出会い影響を受けました。その先生の個人レッスンを受けたことがきっかけでN.Y.の事情も知りたいと思いました。パリとN.Y.を行ったり来たりしていましたが、N.Y.ではビザの関係で大学院生の資格で滞在しましたね。しかし、N.Y.の学校は大変でした。と言うのはここでは単に声楽だけではなく、ダンス、演劇、理論などの全てをクリアしなければなりませんでした。私は高音はとても良く出ていたのですが、他の先生からミドル・ボイス(中間音)の訓練をさせられたら得意の高音が出なくなってしまったのです」

本来の高音の声が出なくなってしまい、ストレスから不整脈となり、吐き気が続いたりしたという。心身の悪条件の中で失意の中にいた彼女を全く理解しない別の先生にもひどい言葉でけなされ、N.Y.ですべてを失ったと思い、約10年前にN.Y.を引き払ってパリに戻った。「本当にそれまでの私の人生の中でとても苦しいときでした」

一人では何もできない

声楽家は自分の身体が楽器と同じなので、他の楽器のようないわゆる「修理」をすることができない。彼女は声を出すためのメソッドであるアレクサンダー・テクニーク(*2)を紹介された。自分の声が回復できたのだった。

「自分の心身の状態が毎日違うことを知らされ、意識し、しかもそれを解放させることで、頭から足先までの身体全体もしっかりバランスの取れたエネルギーを出すことができるのです。身体と思考がうまく合体して全体の身体が開きます。これができると良いものが生まれ、リラックスして余分な力は必要ないのです」

また、4年前には声帯の酷使で高音が出なくなった彼女は、声帯内出血という病気だった。1ヶ月間、歌うことはもちろんのこと話すことも禁止して、回復に専念したという。声を出すのが仕事の人にとっては非常に抑圧された試練だったようだ。

「今も気をつけていることは、普段の食事は何でも食べますが、アルコールは控えます。これは声帯を含め身体内部に脱水をおこしますので、友人たちとのパ-ティーでは少しだけ飲みます。また、少し痩せると声が出にくくなるので、今の体重がベストですね」

さまざまな試練を乗り越えて、今、パリに在住しながらソプラノ歌手として活躍する彼女には、目指す高い意識がある。

「自分を裏切らない、自分に正直に、しかし一人では何も出来ないのが分かりましたし、人との繋がりの大事なこともわかりました。私の夢は平和と愛で人々を幸せで繋ぐこと、そのために歌うことです」と、人間性の高みの重要性を理解した力強い言葉で話した。

「日本を離れ、日本の素晴らしさを知ることがで来ました。日本人として、世界で何ができるのかを考え、日本歌曲を通して、日本の美しい心を伝える活動も行っています」 

ソプラノ歌手として幾つもの賞を受賞し、彼女の好きなパバロッティーを想い、かつて外交官をも目指して得た5ヶ国語を駆使しながら、日本の素晴らしさを伝えながら世界を自由に飛び回っているコロラトゥーラ・ソプラノ歌手「今井あい」。彼女の得意とするドビュッシーの歌曲は絶賛されている。今後のパリをはじめ各地での多くのプロジェクトを前に、彼女の笑顔の中には闘志がみなぎっていた。

コンサートで

コンサートチラシ(2015年)

◆プロジェクト テーマ「絆」

広島:2018年9月1日(土)ベルカントホール

新潟:2018年9月8日(土)新潟県民会館大ホール

横浜:2018年9月19日(水)神奈川県民ホール小ホール

 

出演者:ソプラノ 今井あい(広島、新潟、横浜)

    バス デニス・セドフ(広島、新潟、横浜)

    テノール ジョン・健・ヌッツォ(新潟、横浜)

    ピアノ 斉藤晴海(新潟、横浜)

    ピアノ 宮本千穂(広島)

 

お問い合わせ:aiimai.contact@gmail.com

ウェブサイト:https://www.facebook.com/ai.imai

1)スコラ・カントルム :1894年にパリに設立された音楽学校。

2)アレクサンダーテクニーク:フレデリック・マサイアス・アレクサンダー(1869-1955)による心身技法。心身の不必要な自動的な反応に気づき、それをやめていくことを学習する方法。頭-首-背中の関係に注目することに特徴がある。一般的には背中や腰の痛みの原因を改善、事故後のリハビリ・呼吸法の改善・楽器演奏法・発声法や演技を妨げる癖の改善などに奨励される。(ウィキペディア参照)

TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年~82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。

主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。