宝塚歌劇団の名は日本中どこでも知られているが、私や家族の中で直接には関係なく、私には他の美しい世界と思っていた。しかし約8年前に90歳で亡くなった私の母が娘時代に、母の叔母たちが宝塚を見てその素晴らしいレヴューに感激していたと言っていたことを思い出した。「叔母さんたちが、宝塚のレヴューはそれはそれは素敵だと言っていたよ。『モン・パリ、吾がパリよ』って」
筆者(右)といづるさん
パリジェンヌにダンスを指導するいづるさん
幼い頃からの夢が実現
長身の天勢いづるさんが日本人のアシスタントと一緒に、さっそうとパリの兵庫県センターに現れた。いづるさんは元宝塚歌劇団雪組の男役と娘役の両者で活躍した。現在、宝塚歌劇団入学へのダンス・クラスを東京の赤坂と六本木で経営している。
「地元宝塚⽣まれの私にとって宝塚は身近でした。宝塚の大ファンだった祖母と母の影響で小さいころから宝塚歌劇に親しんでいました。後で宝塚コドモアテネ(*1)に通い、将来は私もあの舞台に立ちたいと思いましたね」
宝塚に精通した恵まれた家庭環境に育ち、夢を追い求めた幼少時だったが、やはり狭き門の宝塚は、はるか彼方にそびえていたようだ。歌って踊れて演技ができて、そして容姿端麗であることなど、さまざまな条件をクリアした少女たちが日本中から集まってくる。合格者の枠は40名のみ。しかも14歳から18歳までという年齢制限と、受験は最高4度まで可能という厳しさである。
「1997年に第83期生として宝塚歌劇団に主席で入ることができました。⼊学試験はその中でも実⼒、プロポ-ション、美しさで4段階で審査されます。⾳楽学校での2年間の厳しい修⾏を終え歌劇団に⼊ると、5つのクラスに配属されます。花・月・雪・星・宙(そら)組があり各クラス70から80人くらいです。初期の有名な「モン・パリ」は初めての洋服やドレスのショーで人前で足を見せることは大胆なことだったのです。その前は昔のおとぎ話などが多かったので、画期的なレヴューでした。これは女性の地位の向上に大いに貢献したのです。1998年に私は雪組に配属され、初舞台は『仮面のロマネスク』でした。男役でずっと出ていました」
男役か娘役かは個人が決める。いづるさんの身長は165cmなので、どちらでもできた。「私としては男役が好き。安寿ミラさんという男役スターさんに憧れ、小学校の頃からずっとファンでした。ダンスが得意で、華奢で小柄ながら憂いと色気のある独特の魅力で、独自の男役像を築かれた方でそう言った面でも尊敬しています。私が音楽学校に入学と同時に退団されてしまい、同じ舞台に立つ夢はかないませんでしたが、退団後その方のリサイタルに出演させていただき、夢がかないました。何と一緒にデュエットダンスまで踊らせていただきました!今の宝塚では圧倒的に男役に人気があり、男性以上にカッコよく、女性が理想とする男性像を演出しています」
その後2004年にいづるさんは娘役に転向したのだが、それは身長の関係でもあるという。「それは後に入ってくる若い方たちがどんどん身長が伸びているので、男役はもっと長身の方が抜擢されるようになりました。2009年に東京公演千秋楽をもって退団しました」
と、ざっと説明してくれたが、その間は大変な努力と日々の訓練の積み重ねがあったであろうことは想像できる。
「1995 年に宝塚音楽学校(*2)に3度目の受験で合格できたのです。ここで2年間みっちりと全て将来の舞台に完璧に立てるように、厳しい訓練がありました」
愛弟子のキララ・オオノさん(左)と
友人の博子さん(中央/神戸出身パリ在住)と、宝塚をよく知っている
男役と女役
「一番大変だったことですか?公演は毎日ですから自分の気持ちを精神的にコントロールして舞台に立つということです。生身の身体ですから、毎日調子のよい時、悪い時などありますが、それをカバーして今日も最高に持っていこうという気力が大事です。ショーは1か月間継続され、1回のスペクタクルは3時間ですから」
自分の身体が武器で楽器で芸術作品で、しかもお客様に感動してもらい喜んでもらわなければならない。特に女性でありながら女性のヒーローたる「男」を演じるむずかしさがある。
「普通男役は10年かかるといわれています。どのように男に見せるか、仕草や声などです。逆に娘役になった時の方が難しかったのですよ。女役をやるのにずいぶん葛藤がありましたが、宝塚が好きで、ここにいたいから努力して女役になりました。女の仕草や声が油断するとつい男になりやすいのです。最初は他の娘役の人をよーく見て覚えましたね。娘はこの時どんな仕草や目つきをするのか女性になる方が大変でした」
女性でありながら「女」を舞台で演じることの苦労は第三者にはわからない話でもあるが、感覚的には理解できる。椅子に座って向かい合ってインタビューをしていたが、彼女は「ほら、この様に足がガバット開いていて膝に載せている手を自分の方に向けて肘をクの字に開いているでしょう。それに声も低音で。結局は男役を8年、娘役を5年やったのですが、私は男役を愛しています」
新人公演「春麗の淡き光に」野依友人役
新人公演「猛き黄金の国」坂本龍馬役
ミュージカル「ZORO」のスペイン総督の姉ルイーザ役
ミュージカル「エリザベート」のヴィンディッシュ嬢役
本家本元で披露したい
宝塚歌劇団を退団する理由はそれぞれである。健康問題、結婚、他の職業への転身など。
「私の場合は追求していた理想とするものがそれ以上できなかったのです。このまま続けていってファンをがっかりさせたくなかったのです。決断するまで本当につらかったですね。でもダンス・クラスを立ち上げ宝塚音楽学校への登竜門として宝塚を目指している少女たちの力になろうと思ったのです」
いづるさんがいかにダンスが好きなのか分かる。一生踊っていたいというような気概に満ちていた言葉である。インタビューをしている側で、いづるさんを尊敬の眼差しで見ている女性がアシスタントのキララ・オオノさん。「先生のすべてが理想の男性です。普通の男性よりも素晴らしいです」とキララさん。いづるさんの厳しい顔から微笑みが浮かび「嬉しいわ」と一言。
今回、パリ兵庫センターでダンスを披露したが、なぜパリで行うのかを質問した。
「宝塚のレヴューがパリでしょう。私たちはさんざんパリについては聞かされてきました。本家本元で私たちの芸を披露したいのです。2000年にベルリン公演の後パリで過ごしたときに、ヨーロッパの感覚が私にぴったりだったのです。パリには母と一緒に私が10歳の時初めて来ました。パリはその時以来のあこがれの地でした。オペラ座近くのこの兵庫県センターで初めてデモンストレーションをしたのですが、私の理想はパリの劇場で公演することです」
高い理想と夢を持ってパリに乗り込んできたいづるさん。フランス語も特訓を受け、フランス人に対してはフランス語で指導、説明をしていた。
毎年パリに来ているが、今一番気を付けていることは、病気やケガをしないように健康管理をすることと話す。「後はストレスをためないで、シャンパンやワインを楽しむことです」
白黒の猫をバッグに入れて連れてきていた。「毎回一緒に連れてくるのよ」と、顔がほころんだ。
「フランス人は考え方生き方が私に合っていると思っています。他人にどう見られるかなどは関係なく、自分のスタイルで自由になんでもできるところがぴったりとあっていると思います」
仕事を通しパリに一層近づいてきたいづるさん、今後この本家本元でどのような動きを見せてくれるのかが楽しみである。いづるさんの「モン・パリ」の世界をファンも心待ちしていることであろう。
パリの兵庫センターでの宝塚ミュージカル・ダンスの披露
1)宝塚コドモアテネ 宝塚市にある学校。小学校4年から中学2年生までの女子が毎年約40名入学。声楽・バレエ・日本舞踊などのレッスンを行う日曜教室。ここから宝塚音楽学校受験を希望する人が多い。(ウィキペディア参照)
2)宝塚音楽学校 予科・本科合わせて2年制で40人の生徒。宝塚歌劇団団員養成所。“ベルばら”により人気が上昇し27倍から最高48倍の狭き門。創設者小林一三による校訓「朗らかに、清く、正しく、美しく」(ウィキペディア参照)
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家)