2017年、スロヴァキア交響楽団の指揮者マリオ・コシックの指揮する楽団の演奏を初めて聴く機会があった。スロヴァキアとハンガリーで、楽団とピアニスト、フジコ・ヘミングとの共演であった。若く長身で、まるで少年のように純粋な感性でフジコに接しているのを見て、お互い信頼し合っている関係を身近にいてよく分かった。
マリオが8月のヴァカンスでパリに在住するフジコを訪ねてきたので、絶好のチャンスと思ってインタビューを申し出たのだ。
マリオはフジコと流暢なドイツ語で会話し、私は彼とフランス語で話すことにした。ヨーロッパの音楽家はドイツ語、英語、イタリア語、フランス語の他数か国語を話すことができる。私の考えでは、職業柄からくる音に対して敏感な耳の持ち主なので、外国語もスムースに話せるのではないかと思うのだ。
指揮者マリオ・コシック
ゴッホの描いた市役所の前でフジコ・ヘミングと
若き指揮者の誕生
「6歳からヴァイオリンを習い始めました。家族には誰も音楽関係者はいませんでしたが、私は音楽が好きだったのでヴァイオリンを習わせてもらったのです。15歳から20歳の間、音楽学校で学んでいる間、オ―ケストラとの練習を通して分かったことですが、一つの楽器だけでは私は満足できなかったのです。全ての音を奏でるすべての楽器に興味を持ったのでした。そこで私は指揮者になろうと考えたのです。仲間たちを通して指揮者の仕事の素晴らしさも知ったのです。結局6年間の音楽学校とその後の11年間の音楽大学を通して、ヴァイオリンと同時に指揮者を目指していた私は、そのための学びと訓練を積んでいきました」
なぜ指揮者になったのか説明してくれたマリオは現在50歳、希望にあふれる青年のように情熱をこめてを語る。
「23歳で音楽大学を修了しましたが、オーケストラの団員は常に130名くらい登録しています。特に他国の楽団の指揮をするのは難しいのです。30歳の時に、世界中から130数人の音楽家たちが集まったチェコのコンクールで、指揮者として参加した私がトップに選ばれました。大変名誉なことでした」
当時、最も若い指揮者として世界中から注目され話題となった。2000年、チェコ共和国のカルロヴィ・ヴァリーシンフォニー・オーケストラの首席指揮者に任命され、これを機会にプラハ室内管弦楽団及び交響楽団等に客演として招待され、ドイツ、オーストリア、イタリア、スペイン、ポーランド、ブルガリア、ロシア、そして日本などで交響楽団の演奏で指揮者を務める。
筆者トモコとマリオ・コシック(フジコのサロンで)
カフェでくつろぐマリオとフジコと筆者トモコ
偉大なピアニスト・フジコと偉大なる音楽家バーンスタイン
「2006年から2018年までスロヴァキアの首席指揮者として活動していました。現在、次のステップの新しいエネルギーのために別のポストを探しています。フジコとは2014年から日本をはじめさまざまな国でー緒に仕事をしましたから、良い関係を保つことができてお互いに理解できます。彼女はまれにみる才能のある偉大なピアニストです。仕事には厳しく熱心で、しかも独立した精神の持ち主です」
他に尊敬する音楽家はいますか?と聞くと、即座に「何と言ってもレナード・バーンスタインです」と答えた。なぜなら「天才」という言葉だけではあてはまらない、単なるピアニスト、指揮者、作曲家ではないと話す。「一言でいえば、クラシック音楽を一般大衆に広めた人物です。これはとても大変な事で一大変革だったのです。クラシックに広がりを持たせた偉大な音楽家でした」
約30回ほど来日しているマリオだが「日本人はまじめに仕事に取り組み、全てきちんとやろうとする国民性だ」と評する。
「日本は大好きです。料理も美味しいですね。料理の種類も豊富です。しゃぶしゃぶや餃子もよく食べますよ」と、かなりの日本びいきである。
指揮者マリオ・コシック
フジコ・ヘミングの愛犬アンジンのパスポート取得のために動物クリニックで
世界中で音楽好きなファンを魅了する指揮者
多忙な指揮者マリオは、つかの間のパリでのヴァカンスを過ごしてから、すでに次の予定が入っていた。「9月11日から10月6日まで中国ツアーがありますが、中国は今回で3回目です。その後、フジコとの共演でロンドンと日本でのツアーコンサートが入っています」地球規模で移動している若き指揮者は、豊かな才能で世界中の音楽好きのファンたちを魅了しているようだ。
ピアニスト・フジコは私(筆者/画家)の尊敬する友人だが、先日、彼女に頼まれて私の運転で彼女とマリオを乗せてパリ郊外のゴッホの終焉の地を訪ねた。私はゴッホの住んでいた質素な屋根裏部屋を何度訪れても、胸がいっぱいになって涙ぐんでしまう。初めて訪れた繊細な指揮者マリオも感動で胸をつまらせていた。
ゴッホの住んだ部屋の階下はレストランになっているが、ゴッホの手紙に「いつか、もしできたら僕の個展をこのカフェ(レストラン)でやりたい」と綴っていた。「いつか」と、希望を抱いていたにもかかわらず、ついに個展を行うことができなかった彼が可哀そうで、可哀そうでせつなくなってくる。フジコは「涙も枯れてでないわ。でも彼は絵だけ描いていたから幸せよ」とぽつり。それは、天才ゴッホの辛苦に匹敵する人生の荒波を潜り抜けた天才ピアニストと称されるフジコならではの言葉であろう。
指揮者マリオは豊かで繊細で青年のように未来を見据えて世界の舞台に立つ。妥協を許さず、人々に最高の音楽をおくるための努力を惜しまない。そんなマリオ・コシックの魅力を身近にいるピアニスト、フジコ・ヘミングが一番理解しているようだ。
(2019年8月 取材/TOMOKO K. OBERパリ在住/画家 )
フジコ・ヘミングとの共演ポスター