アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「電子版パリ通信」No.72

‘ISSHONI ART’ ポーランド・ニーサ市美術館館長エドワ-ド・ハワイコ氏と8人の日本人と4人のポーランド人ア-テイスト展

約3年前、私の友人のアーティスト、エリザベット・トムチェック(オリジナルはポ-ランド人)より、彼女の生まれ故郷のニーサ市での企画展の話があった。彼女はポーランドとフランスの国籍を持っており、北フランスに長い間在住し、子どもたちに絵画の指導をしている。私は彼女と組んで絵画展を何回か開催したのでお互いに理解している。私は素晴らしい話として受け取り今日を迎えた。それは今年が日本・ポ-ランド交流100年記念ということにもあった。「ISSHONI ART」は彼女が考えたテーマだ。

パステルカラーの美しい街並み

ニーサ市の街並み

アーティスト達が宿泊しているホテル

荘厳で美しい教会

展示会場の美術館

教会の前で、アーティストたち

たとえ政変があっても企画が実行される

ニーサ市は南ポ-ランドにあり、30km南にある山を越えるとチェコ、西に200kmがドイツである。私は19年前から度々ポーランドのアート・シンポジウムに招待されているが、ニーサでの展示会は初めてである。日本人の参加する作家を選び、コンタクトを取り内容を知らせて進めていった。進めるうえで難しかったのは、それぞれの立場で忙しく活動している各作家に、こちら側で企画した日に合わせてスケジュールを調整してもらうことであった。

日本から知多秀夫、一ノ瀬智恵乎、高木瑞枝。メキシコから花藤章夫、パリから甲斐雅之と私(筆者/TOMOKO・KAZAMA-OBER)。そして招待されていたが、都合がつかず欠席の伊藤典子と辻井ますみも作品参加をはたした。実際に参加できた作家は6人とアシスタント、友人、夫、妻ら5名が参加し、総勢11名の日本人がニーサ市に集まった。

ポ-ランドとの連絡はエリザベットが役を担ってくれた。国境を超え時間差を超えた大変な作業だった。しかも当時ニ-サ市も含め国の大事な選挙を控えており、もし上層部が変わったらこの計画はどうなるかも気になった。ヨーロッパでは政治の上層部が変わると、以前の企画は無かったことにすることが簡単にあることなので、私もパリでその苦い経験をしている。エリザベットに確約してもらったのは、上が変わってもこのイベントは実行してもらうということだった。彼女の話では、たとえ政変があったとしてもこの企画は実行されるという返事をもらっていた。

館長

館長とトモコ(筆者)

オープニング

オープニングで館長(左)と知多秀夫

オープニングセレモニーの会場

会場で

オープニングセレモニーでの演奏者たち

日本とポーランドのアーティストたち

■未来の子供たちのために

他の作家たちの到着する3日前にエリザベットと一緒にニ-サ市に向かって出発。飛行機でパリより直行で1時間40分で着いた。私は北・中央・南の主なポ-ランドの街は知っているが、ニーサ市は初めてだった。小さな町だがたくさん美しい教会があり、脇には神父たちのセミナ-館や宿泊施設などがあった。昔から他県から来てニーサ市を利用したようだ。美術館も立派な建物であった。その美術館の一部で私たち作家が作業をした。美術館の三つのホ-ルを使用して展示会は開催された。館長のエドワードは少しも椅子を温めることなく忙しく動いていた。笑顔を絶やさず仕事を各部署に指示していた。私たちの現場での細かい変更にも耳を傾けて、訂正の指示をしてくれたのだった。

オ-プニングは来賓とたくさんの人々が出席して盛大に行われた。彼とはいつも立ち話で要件を話したり伝えたりしていたが、全て無事に終了して、ホッとし作家たちはそれぞれ帰路に着いたり、近くの街を何日間か尋ねたりしてニ-サを離れていった。

私は1日遅れて立つことになっていたので、館長とは英語での会話だが、私に「明日美術館に子どもたちが先生とくるので、トモコ、案内をして説明をしてください」と言ってきた。翌日、午前中の2時間ほど子どもたち20人ほど(8~13歳くらい)フランス語の話せる先生だったので説明はスムーズにすることができた。子どもたちは少しシャイな感じがしたが、みんな熱心に一生懸命聞いていてくれた。その後子どもたちと先生にサインを求められた。子どもたちの名前を、例えば「ナタ-シャ」を、漢字の当て字で「奈多社へ」と書き、私の名前も漢字で自分の名をサインとした。子どもたちはみんな大喜びで大事に持って帰った。

その後館長に時間を取っていただき、インタビューができた。「今回素晴らしい企画ができて本当によかったです。この後5年間は他の国のアーティストたちと連絡を取り続けて企画を実施していきたいです。大事なことは、いろいろと案はあっても実際に実現させることは難しいので、とても大変ですが、いったん決めたら必ずやり遂げたいと思ぅています」。彼は盛んに「実現化」の言葉に力を入れて語ってくれた。「それは未来の子どもたちのことを考え、芸術を通して豊かな大人になってもらい、今だけの事ではなく将来を背負う子どもたちのためにと思っています」と、積極的で力のある館長の言葉であった。

作品創作中の甲斐と佐古やちよ

左から館長、エリザベット、トモコ、一ノ瀬

習字のパフォーマンスをする一ノ瀬

見学の子どもたちと、花藤の作品の前で

エリザベットの作品の前でトモコ(筆者)と

トモコと作品の前で日本の着物を着て化粧をするニーサの女性二人

トモコ(左)と高木瑞枝。それぞれの作品の前で

花藤とヨハンナの作品

知多秀夫と作品

辻井ますみの作品

イコン作家中平淳子の作品

スザンナの作品イコン、下は中平の作品

モニカの作品

作品を制作中の花藤

左の作品からモニカ、甲斐、エリザベッドの現地での制作、展示を見て回る知多

ポーランドの彫刻家のアトリエを訪問

今後の国および市の芸術の発展のために

展示会前に何日間か日本の作家たちが現場で作品を作っていた所へ、毎日何組もの学生たちが先生と一緒に見学に来たのだった。これは日本の作家たちの作業場と作品のつくり方を見せて刺激を与えていたのだった。先生はどんな説明をしていたのかポ-ランド語なので良くわからないが、それぞれの作家とは英語かフランス語で少しのやり取りあった。ポ-ランドの若者たちと日本の作家たちとの良い交流ができたと思う。

この様な企画のすべてを担った館長は「自分のこの仕事が好きです。この仕事のためにはとても大きな力が必要だと思っています」と、いつものとっておきの笑顔で話してくれた。「今は特に他国の美術館とのコンタクトで忙しくしています。例えば、チェコ、ドイツ、ウクライナ、ハンガリー、そしてアメリカなどです。ですから今回の日本との企画はこれからのためにも良いタイミングでした。特に重要なTV放送局が来て放映されたのでとてもプラスになりました」

今後、ポーランド国およびニーサ市の芸術の発展のためにも今回の企画は大変意義があったということを話してくれたので私は日本側の責任者としてほっとした。「ぜひ日本の作家にまた来てもらいたいです。トモコ本当にありがとう」と言って私の頬にチュッチュッと挨拶してハンガリ-の美術館との打ち合わせに向かった。

トモコ(左)の作品の前で、エリザベットと

館長(中央)と高木瑞枝(左)、ヨハンナ(右)

エリザベットと作品

左はトモコの作品、右3点は伊藤典子の作品

花藤章夫と彼の作品

第2会場の展示作品。右からトモコ、高木、甲斐、高木、トモコの作品


下記は今回の展示会に参加した日本人アーティスト、一ノ瀬智恵乎氏(学校法人東海大学望星学塾講師)の「ポーランド  ニーサ市における国際展 報告」である。

「ISSHONI ART」 Muzeum Powiatowe W Nysie (2019.11.10 ~2020.5.01)

今年度 日本とポーランド国交樹立100周年にあたり、芸術、文化、スポーツ、様々な企画が催され、その一環としてNysaにおける絵画展覧会に、日本人8人ポーランド人4人の展覧会に出展してきました。

主催者側は、PORAND Opole 県 Muzeum W nysaで、8泊9日の招聘を受けました。空港へのお迎え、美術館長の市内案内、現地制作、アトリエ見学、バスでアウシュビッツ、クラクフ観光など、こちらの負担は全くなく盛り沢山の歓迎を受けました。

私は絵の出展以外に、現場での書のパフォーマンスを頼まれており、俳句を幾つか英訳したものを持って行き、現地高校生が授業の一環で見に来る中、訳した英語を読んで、書を実演いたしました。漢字の書体が面白いらしく、名前を漢字で書くことを何人にも頼まれ、挙句、館長にも漢字で名前を当ててほしいと頼まれました。

絵画展覧会については、現地での制作要請もあり、短時間で描き終え、郵送した横5.5m x 縦1.6mの大作と両方出品することができました。

ポーランド人の絵画は、ヨーロッパとしての歴史的な背景からフレスコ画 マリア像、十字架を意識した絵もごく普通に描かれているようで、その点は驚きました。日本人画家は災害、身の回りの問題をテーマにしたもの。私の大作はアジアとヨーロッパの建造物に民族移動、戦いなど思わせる馬の群れ、を水墨画風に描いてあり、その絵は大変好評を得ることができました。

ポーランドは1919年に独立した後も周辺諸国から占領され、ユダヤ人も多く住んでいたために、アウシュビッツに代表される強制収容所が各地に設置され、計り知れない悲しみが人々にもたらされました。爆撃によって歴史的建造物が破壊されたり、多くの被害を受けて、それをやっと修復し現在の平和な共和国に至った経緯があります。そんな中で、現地の作家に意見を伺うと多種多様な意見があるとのことでしたが、被害を受けながらもマズルカやポロネーズの音楽も栄え、前に向かい、切り開いて国家を作ってきた誠実さが、優しく深い笑顔から伺われました。多くの歴史的教会と建造物が町並みに溢れ、重要なものを残しつつ、まだまだ生まれ変わろうと街づくりをしている様も目にしました。住んでいる一人一人がその国のルーツと誇りを認識していることを感じました。決して豊かではありませんが、芸術文化にこれだけ力を注いで下さる事は、まず日本にはありえない事です。その心こそ笑顔の国民を作る豊かさなのだと確信いたしました。

この度、コーディネートにご尽力下さった方をはじめ多くのポーランドの皆様に、多大なる感謝を申し上げます。それとともに日本と友好国であることの深さを勉強させていただきまして、画家として、今後も未来の平和の夢を願って描こうと思うに至りました。 2019/11/04

一ノ瀬千恵乎と作品

作品を制作中の一ノ瀬

ニーサ市近隣の街を観光するアーティスト達一行

下記は今回の展示会に参加したパリ在住のアーティスト甲斐雅之のコメントです。

作品『ニサのビーナス誕生』、傑作が出来ました。ポーランドのある地域の土を頂いて制作しました。美術館長、関係者そしてニサ市の人々に絶大な感謝を込めて、ニサ美術館へ寄贈します。自分自身が、創った絵に永久に祈り続けることになってしまった。被曝50周年に広島市の協力を得て、爆心地近くの土壌で布を埋めて制作した大作二点も 当美術館に展示しています。(2020年1月5日まで)

甲斐雅之氏と広島の土に埋めた布から制作した作品

ポーランドのある地域の土で制作する甲斐

甲斐雅之とエリザベット

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年~82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。

主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。