アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「ビオス電子版スペシャルトーク」No.8

「伝統工芸・伝統文化の保存と継承」―日光市 斎藤文夫市長 × 山本政史 下野手仕事会(日光下駄)・日光伝統工芸協議会会長―

1999年12月にモロッコで開催された第23回世界遺産委員会において、日光二社一寺(二荒山神社、日光東照宮、日光山輪王寺)の世界遺産登録が決定された。その内容は日光山内の二荒山神社、東照宮、輪王寺の103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」である。

これらの世界文化遺産中の東照宮は今年(2015年)で造営400年の記念すべき年となった。その東照宮と時を同じくして作られたのが「日光下駄」である。今回は世界遺産を抱く日光市の斎藤文夫市長と、「日光下駄」の工芸家である山本政史さんの対談を収録させていただいた。

斎藤文夫市長

下野手仕事会(日光下駄)・日光伝統工芸協議会会長 山本政史さん

斎藤市長と山本さん

「日光下駄」とは?

斎藤 最初に山本さんから「日光下駄」の説明をしていただけますか。

山本 東照宮の皆さんはご存知とは思いますが、日光下駄は東照宮の中を格式の高い方々が履いていたのがはじまりです。「二社一寺」は草履参入が正式ですが、山道・坂道が多く雪も多い日光ですから、特別に「御免下駄」という下駄に草履を縫い付けて作ったのが始まりです。正式には日光下駄は草履なのです。たまたま下駄に似ているので「御免下駄」という形にしたらしいのです。これは雪が取れやすい形に作っています。また「歯開き」といいまして下がいくらか開いているので、高さがあっても安定性がある特別な履物なんですね。江戸時代当時は一般の方は履けなかったのです。いろいろ決まりがあって、格式の高い方だけが履いたんですね。

革を縫い付ければ雪駄になるんです。要するに鼻緒を縛る下駄じゃないのです。草履を麻糸で縫い付けている。この筍の皮、真竹の白竹とか皮白竹、これは雪駄の材料なんですが、この筍の皮で編んだ草履がいいんですね。丈夫で水分を吸いますし殺菌力が強い。元々は雪駄の材料なんですね。夏場はさらさら感もあっていいですよ。

明治期になって自由な時代になりましたから一般の方が動きやすく履けるように直したのが「二枚歯」という形に縫い付けたものです。つまり、真竹の筍の皮を細く裂いて編み込んだ草履を、木に縫い付けて、鼻緒が草履についているという形をクリアしていれば日光下駄になります。

斎藤 私も山本さん製作の下駄を持っていますがとても履きやすいですね。私は家に帰るとほぼ一年中靴下脱いで大体裸足ですから下駄がちょうどいいんです。子どもの頃も下駄を履いていましたが、我々が履いたのは草履のない下駄ですね。子どもの頃は日光下駄は高くて買えませんでしたから。(笑)

山本 それは鼻緒と木だけの下駄ですよね。履き心地が違いますし、どうしても鼻緒で縛っちゃうと痛いとかきついとか、鼻緒が切れちゃうとかいうことになるけれど、日光下駄は履けば履くほど足に馴染んできますから、そこが大きな違いなんですね。

山本さん製作の日光下駄

次世代を担う「子どもたち」への教育と伝統工芸・伝統文化の関わり

斎藤 日光には「木彫りの里工芸センター」というところがあり、日光市内の小中学校に限らず、年間3万人、400校にも及ぶ子供たちが「木彫りの里工芸センター」で日光彫教室の体験を行っています。市内においては、出前教室など学校での体験学習なども行っています。山本さんはこの体験教室で指導しています。また、山本さんの実演を見ていただいたりします。日光下駄は、毎年10月に開催される「日光けっこうフェスティバル」で行われる「日光下駄飛ばし選手権大会」で、日光下駄を履き競技をするという体験を、たくさんの子供たちが楽しんでいます。

伝統工芸に限らず、日光地域であれば二荒山神社や東照宮で行われるお祭りにお囃子で参加したり、武者姿などに扮して武者行列に参加するなど、伝統文化を身近に感じ、体験をしているところです。

山本 子どもたちに草履編みの体験をさせたあとに、先生から伝統について話してくださいということがありますが、その中で「歴史が変わってくるんだよ。これが今の下駄のスタイルだよね。例えば車なども電気自動車になってきたり、いろいろ世の中が変わっていってるよね、そうするとこの下駄をまた君たちがその時代に履き心地のいいように直していくんだよ。日光下駄は、筍の皮、吸湿性がよく殺菌力がある、鼻緒は草履についてる、縫い付けになってる、その三つをクリアすれば時代に合ったように変化させていくと履いてもらえる。だから時代にあった形を君たちが作れば、さらに子どもから孫へと100年いくとその形が伝統工芸と認定されんだよ」と話すと、子どもたちが身近に感じて「あーそうなんですか」と。「そういうものを考えてごらん」と言うと「そうか、どういうのがいいのかな?」なんていいながら反応がありますね。

斎藤 日光の子どもたちはそういう体験もしてるし、当然「木彫りの里センター」で日光彫や日光下駄の実演を見たりできるので生活の中に入ってますね。他の地域よりは馴染んでるわけですよね。家に下駄がないので、ほとんど見たことがないとか触ったことがないというお子さんが結構多いのですが。日光市は特別かもしれません。

山本 日光彫にしても日光下駄にしても東照宮がルーツですから、造営の時の彫刻が日光彫であって、その中で履くのに日光下駄があった。そして今年、東照宮造営400年、日光下駄も同じ歴史ですから責任もありますね。ここまでずっと東照宮から続いて継承してきてその伝統を守りつつ新しいものを次の世代に伝えるというのは大変なことですね。

日光木彫りの里工芸センター(写真提供:日光木彫りの里工芸センター)

日光下駄飛ばし選手権大会

日光市の「地域」における伝統工芸・伝統文化の保存と継承

斎藤 伝統工芸の継承については、山本さんが会長をしています「日光伝統工芸組合協議会」や「日光彫協同組合」、栃木県、日光商工会議所、日光市で発足した「日光伝統工芸品振興協議会」などで、後継者育成や新商品開発などについて、伝統工芸に携わる職人一丸となって取り組んでいるところです。伝統文化においても、古くから伝わる行事への子供たちの参加があり、継承されていると感じています。

山本 先日「日光下駄」を3、4年前にお買い求めになったお客さまから電話がありまして、「山本さん、失敗しましたよ」と言うので「何ですか?」と聞きますと「私は3年間下駄を飾っていたのです」と。4年目の夏場に初めて履いたらしいんですが、そうしたら「もうこんな履き心地が良かったのに、何で私は3年も飾っておいたのか。履き続けてから、今度は修理に持って行きますから」という。どうしても伝統工芸は堅苦しくなると遠いものに思えますが、「工芸品」は使われて何ぼのものだと思うんですね。日常生活で培ったものだと思いますよ。他の工芸品もそうですが、飾っとくものではないいのです。さまざまな伝統文化の式典などで使ってもらえればいいのですけど、なかなか……。

斎藤 私たちは式典、お祭りなどで毎年いただきますが、筍の皮で編んだ雪駄ではなくてビニールの雪駄で下が厚い下駄ですね。

山本 そういうのを本物に変えて使っていただくと後継者もだんだんできてくる。だいたい「後継者ができる」というのは、例えば作っていて楽しくて儲かっていそうにやっていれば、若い人は「自分もやってみたい」と思いますよ。やっている本人が「もうだめだ、儲かんねえ、先はもうないんだ」と言いながらやっていたら、これはもう逃げっちゃいますから。いいなと思ってきてもダメだこの業界じゃ食っていけないと。そのあたりが問題なんですね。安いものがどんどんでていますから、値段的に勝負にはなりません。

斎藤 本当は広く販売できるような体制で、当然、経済的な安定も必要ですね。世の中全体がその業種を使ってくれるような形になれば盛り上がりますし、何人もお弟子さんがいてたくさんできるようになると、コストも考えられるようになりますね。

二社一寺では、「日光社寺文化保存会」といいまして世界遺産を守る大工さんや漆の職人さんなど、伝統文化の修復関係を養成するための組織を作っています。若い人も女性も入っています。山本さんたちの伝統工芸も「木彫りの里センター」を拠点にしてそういう継承に向けた支援をしたい思っています。山本さんがいなくなると困るんですよ。

日光下駄を製作中の山本さん

第41回下野手仕事展で実演する山本さん

日光市の伝統工芸を世界に向けてアピール

斎藤 咋年12月には日光の社寺が世界遺産に登録されてから15年を迎えることとなりました。2月にニューヨークタイムズ紙のトラベルコーナーにおいて日光が紹介されるなど海外からも感心が高いことが伺えます。そういった意味では二社一寺がアメリカでも話題になるかなと思っています。

また、今年は家康公が亡くなられてから400回忌にあたり「東照宮四百式年大祭」が行われます。それを記念して昨年10月には東照宮において、伝統工芸展が開催されました。

その他にも、東京スカイツリー内「とちまるショップ」での展示やイベントへの参加、東京青山で行われる伝統工芸品展での山本さんによる日光下駄の実演や日光下駄や日光彫の展示販売なども行っています。私は海外に行くときには日光下駄を購入してお土産として差し上げたりしています。山本さんは海外での催事に参加していますね。

山本 一咋年の11月に栃木県の催事で香港へ3日間行って実演をしてきました。あちらの方は日本文化に関して非常に興味を持っていて、特に若い方々が日本のアニメなどもよく知っているんですね。

当然、二社一寺も世界遺産、これまさに本物だから世界遺産なんでなくならない。そして継承していかなければならない。インチキだったらなくなったっていい。ただ、今はどっちかの時代にもう入ってますから「興味のないものは安いものでいい、興味のあるものはちょっとお金を出しても欲しい」というお金の使い方がうまくなっていますね。少子化時代でもありますから、そこでいいものを欲しい人に供給できるものを手間暇かけて作っていかなければなりません。下駄の場合は第一が履き心地。第二が耐久性、履き心地が良くてもしょっちゅう壊れたんじゃどうしょうもないですから。三、四が見栄えとかそういうことになってくると思います。そういうのをしっかりと作っていけば使ってくれる方が結構いると思うんですよね。

海外でも日本ではこういうものがあるんだというものをうまくもっともっとアピールできればいいなと思いましたね。栃木県内では私が今所属している「下野手仕事会」(藤田眞一会長/小砂焼き)という県内の伝統工芸士を中心につくっている会なのですが、今回も昨年の12月の16日から宇都宮の文化会館で一週間下野手仕事展をやりました。その一週間の間に実演をしたり展示して県内外の皆さんに見ていただきます。

日光東照宮(写真提供:日光東照宮)

これからの日光市が目指すこと

斎藤 日光地域のみならず、今市・藤原・栗山・足尾、それぞれの地域ごとに未来へ継承していきたい伝統工芸・伝統文化があります。それらを広くアピールして次世代へとつないでいくことです。子どもたちが伝統工芸や伝統文化をより身近に感じられるよう、学校の中でも触れ合えるような環境づくりを、ともに協力して支援していきたいと思います。学校現場で子どもたちが興味を持つような仕掛けが必要かなと。そうしないとなかなか継続して引き継いでいくのは難しい。

いま二社一寺とか日光彫とか日光下駄とかそういう社寺に関係ある話をしていましたが、日光全体ですと、獅子舞や二荒山神社の弥生祭のお囃子であるとか、そういうものが日光全域にある。子どもたちは小さいころからそういうのをやっているんですね。その文化は地域、地域で継承してもらいたいと思ってますし、行政としては、そういったものが廃れないような支援をしていきたいと思っています。それはこの日光下駄にしても日光彫にしても同じです。獅子舞とかお囃子とかそういうものも含めて支援する体制を取っていきたい。そして長く伝統文化を継承していきたい。そういったことを新しい年にやっていけたらと思います。行政がやれるのはそこだと思います。次の世代に文化をきちんと伝えていくということです。その意味では昨年は世界遺産登録15周年の記念の年だったり、今年は東照宮の四百式年大祭っていうことですから時宜を得たものですよ。

山本 日光の場合はもう何年も前から外国の方が来てますけど、英語や韓国語の入ったパンフレットを観光協会から作ってもらっています。「木彫りの里工芸センター」の隣の外国人向けペンションがあるんですけどそこのオーナーが寄っていくように勧めてくれています。二社一寺を中心に「文化の日」前後の短い期間ですが、ライトアップなどは綺麗で興味があるようです。帰国すると宣伝してくれてまた来年来てくれるんじゃないかとオーナーは話しています。二社一寺などの「日光」があまりにも素晴らしすぎて、市民1人ひとりもちょっと頑張らなければいけない。市の応援や二社一寺に頼り過ぎて、少し他の地域よりは一人ひとりの努力が足りないのではと思うような気もしますね。本当は市民が頑張らないと観光客は来てくれないですから。行政とタイアップして市民がいろんなこと考えて提案して努力する。そんなところがこれからの改善点かなと(市民の1人として)反省しています。

斎藤 それでは、今年もお互いに助け合い協力しあって次の新たな歴史を作りましょう。

山本 本日はお忙しいところをありがとうございました。

斎藤市長と山本さん。対談を終えて

(構成:ビオス編集室)