「いちごの唄」
大空を駆け巡るようなおおらかなケーナの音色、力強くそれでいて柔らかい音色が心地よく会場を流れる。そのケーナの旋律に寄り添うように低く魅力的な歌声が流れる。歌うのは歌手加藤登紀子。その傍らでケーナ奏者「Ren(れん)」が演奏する。ピアノ、ギター、ヴァイオリンとのカルテットによる「いちごの唄(加藤登紀子作詞・歌、Ren作曲)」が那須野が原ハーモニーホール(栃木県大田原市)の会場を熱気で包んでいた。
いちごは栃木県の代表的な農産物である。その中でも消費者に人気のある「とちおとめ」の応援ソングとしてJAグループ栃木の消費宣伝事業委員会によって制作された曲である。この日は「加藤登紀子50周年記念コンサート」に併せての発売となった。「いちごの唄」を作曲したケーナ奏者Renは栃木県足利市出身である。
「実は最初はこの曲は栃木のためにと思って作ったのではなかったのです。いちご農家のとても素敵なご夫婦がおられるので、いちごをテーマに作曲したいと思ったのです。取材をしてから一年後くらいに、ようやくできあがったのが、まずケーナで演奏する『いちごの唄』でした。ご夫婦にいちごたちが『甘く大きく美味しく育ててくれてありがとう!大変なこともあったけど、今はすごく幸せそうだね』とか、そんなことをいちごが歌っている曲ができました」
ある日、歌手加藤登紀子からコンサートの誘いがあった。「ケーナ奏者を探していてRen君に行き当たった」と、加藤自身もコンサート会場で彼との出会いの経緯を話していた。
「登紀子さんのラジオ番組に宣伝のために出演させていただきました。本番前に、『せっかくだからRen君のCDをかけましょう』って言ってくださって、『いちごの唄』をかけたら、登紀子さんが『これは詞をつけられそうな曲ね』って言ってくださった」。彼のやりたかったひとつのステージが実現していった。
那須野が原ハーモニーホールで加藤登紀子とRen
『いちごの唄』加藤登紀子作詞・歌、Ren作曲
インタビューでケーナの魅力を語る
ケーナに魅せられてプロの奏者へ
Renは筑波大学大学院を卒業後、中学校の数学教師として勤務していた。しかし、大学時代に夢中になったケーナを簡単に生活から追いやることはできなかった。
「ケーナは大学のサークルのフォルクローレ愛好会が新入生勧誘で宣伝演奏をしていました。その時の演奏『コンドルは飛んでいく』を聴いて、この楽器をやってみたいと思いました。子どもの頃からピアノを習っていたので音楽は好きでしたが、ケーナの音色には深く心に迫るものがありました」
大学院を卒業する前に、一度本場でケーナ演奏を聴いてみたいと、ケーナの本場南米にフォルクローレ愛好会の友人と二人で旅をした。南米の暑い太陽と大地と街の人々に触れて、さらにケーナにのめり込んでいった。
「ペルーとボリビアを回ってきました。ペルーの夜の酒場など、生の演奏を聞きながら食事するお店がたくさんありました。日本ではケーナはコンサートなどステージ上でのイメージですが、南米ではもっと垣根が低くて、演奏にあわせてみんなで踊ったり、お客さんが一体となってケーナの演奏を楽しむというような、もっと身近にある楽器です」
最初のCDは教員時代に自主制作した。機材を集めて自分でギターを弾いて自分で録音して作ったCDだった。
「教員をやっていた頃にケーナを諦めようとして作ったアルバムですが、聴いてくれる方、応援してくれる方が出てきてくれたので、これで道が開けたと思いましたね」
中学教師は中途半端な意思でできる仕事ではない。両立は難しかった。彼は約3年間の教員生活に終止符を打ち、ケーナ奏者としてのプロの道を選んだ。親族の会社経営者の応援を得て、自作の曲をいれたCD「やくそく」をリリース、28歳のデビューであった。全国のケーナマニアに「なかなか一本で3オクターブの高い音を綺麗に出す奏者はいない」と好評であった。
「CDはひたひたと売れましたので嬉しかったですね。教員時代は趣味で吹く時間もあまりなかったので、とにかくケーナをやりたいと思った。僕の叔父に話をしたら『本気でやるなら応援する』と言ってくれて叔父の会社所属でスタートしました。不安はなかったですね。楽しいことばっかり起こるような気がしていました。周りの応援があったからこそやってこられたのです」
南米で、路上演奏
1stアルバム『やくそく』
ケーナの魅力を広めたい
「ケーナはとにかく音色が素晴らしいのと、演奏者の心の動きをそのまま音で表現できるような声のようなイメージです。表情豊かな音を出せる。そうすると自分が演奏したい気持ちがケーナの中に表れてくる。そういった意味では体の一部のような楽器です」と、日本ではピアノやギター、ハーモニカなどのように日常的に馴染みのある楽器ではないので、知られていないケーナの魅力を語ってくれた。彼が演奏に用いるケーナはすべて自ら制作する。コンサートに使用できるレベルのケーナを作るまでに約4年の歳月がかかったという。ケーナ材となる竹も自ら切り出して選別したものを使用している。
「最初は南米の輸入したものを買っていたのですが、今は日本の竹から作っています。もちろん南米のものも良いですが、自作の方が欲しい音色が調整できます。ケーナの長さはだいたい決まってはいるのですが、太さや調律などによって変えています」
そして、ケーナの魅力を多くの人たちに知ってもらい親しんでもらうために県内各地で「ケーナ教室」を主宰し、ケーナを広めるためにも力を注いでいる。
「楽譜の読めない方も、楽器を習うのは初めての方も、『コンドルは飛んでいく』を吹けるようにするのが第一の目標です。素朴な楽器なので気軽に持ち運べるし気軽に始められます。聴くことも癒しかも知れないですが、自分で楽器に触れて吹くことも癒しになります。多くの方にケーナを楽しんで吹いてもらえたら嬉しいと思います」
地元足利市から夢は世界へ広がる
2014年に足利市出身のケーナ奏者として足利市観光大使「あしかが輝き大使」に就任している。今年9月には地元足利市の鑁阿寺(ばんなじ)で「加藤登紀子50周年記念コンサート」を開催した。
「その時にはじめて『いちごの唄』を発表しました。僕が登紀子さんに鑁阿寺でコンサートをやりましょうと言ったら、鑁阿寺は登紀子さんが相田みつをさん(足利出身の書家・詩人/故人)と約束をしていた場所だったことを知って、それではということで、登紀子さんが相田さんの詩「にんげんだもの」を曲にして鑁阿寺で発表しました。僕は地元足利の地で、登紀子さんとステージに立てることの嬉しさで一杯でした」。足利市民、市職員、鑁阿寺など多くの地元の人々が協力してコンサートが開催された。「本当にとても感動しました」と話す。
南米を旅した頃から海を渡って飛び立つ思いはいつもある。「来年は、オーストラリアツアーを企画しているところです。ヨーロッパにもケーナを手にいつか行ってみたいと思っています」
筑波大学のフォルクローレ愛好会でケーナに出合ってから約16年、日本では数少ないケーナ奏者として第一線で活躍するRen、さらなる夢が広がっていく。
50周年記念加藤登紀子コンサートin鑁阿寺
2ndアルバム「こもりうたのように...」
3rdアルバム「LOVE TREE」
4thアルバム「雪の街」
ケーナ奏者Ren