アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「BIOS電子版」No.38

「和灯屋」店主 照明造形作家-鎌田泰二-

宇都宮市の住宅地の一角に65年前に建てられたという日本家屋があった。「和灯屋」の文字が木の板に書かれていた。昭和時代の懐かしい玄関をカラカラと開けて目の前の暖簾をくぐると、そこは和紙と灯りの作品がちりばめられた異空間であった。「和灯屋」の店主、鎌田泰二さんが笑顔で迎えてくれた。

「和灯屋」店主 鎌田泰二

「できない」とは絶対に言わない

「灯りを手がけるようになったのは、僕の目が強い光に弱くて、優しい光を求めていたからです。大学卒業後、さまざまなモノづくりの職を転々とした後、光ファイバーを素材として舞台づくりを手掛ける『コートク』と言う会社にたどり着きました。光を造形する作業の楽しさを学び、さまざまな現場を経験させていただきました。そんな折、世界的に活躍していたデザイナー山本寛斎さんから『京都コレクション』のステージ用に畳1枚位の和紙の中に光ファイバー漉きこんでほしいという依頼がきたのです。和紙の両面から光が見られるように光ファイバーを漉きこむという、初めての試みでした」

寛斎さんからの課題を背負って鎌田さんは地元栃木県の那須烏山市にある烏山和紙工房を訪ねる。宮中の歌会始に平安時代から使われていた和紙を再現したという程村紙の栃木県無形文化財保持者である故福田弘平氏がいた。

「福田さんを訪ねて、和紙に光ファイバーを漉きこんでくださいと頼んだら『教えるから自分でやってみなさい』との返事。一カ月会社には行かず烏山に通い、紙漉きの基礎から教えていただきました。しかしその程度で和紙漉きが身に着くはずもなく、相談すると福田さんは『それでは僕も一緒にやりましょう』と言って下さいました。それから福田さんと試行錯誤を重ねながら、寛斎さんご依頼の光ファイバー入りの和紙8枚を無事漉きあげたのです」

「山本寛斎京都コレクション」には鎌田さんも京都に同行し、仕込みから一週間現場に滞在した。

「『いい仕事をなされていますね』と気軽に声をかけてくれる寛斎さんは本当にほめ上手な優しい方でした。嬉しかったですね。私はステージの頭上で光る光ファイバーの入った和紙を見て(写真1)新たな優しい光を再発見したのです」。これが和紙との運命的な出会いになった。

「条件を与えられるのはとても面白いし、やりがいがあります。市川猿之助さんの舞台や劇団『四季』の舞台などでも必ず難しい条件があります。『四季』では、オペラ座の怪人の後ろに8メートルの稲妻を3本飛ばしてくれなどと注文してくる。『キャッツ』では猫が飛ぶ一瞬だけ体を発光させてくれなど、それこそ一発勝負ですから、そういう課題をクリアしなければならない。そういう仕事を続けてきた。だから『できない』とは絶対に言いたくない。課題を与えられるのは嬉しいことなんです」

写真1 「山本寛斎京都コレクション」

佐貫邦子ダンスステージ「まゆ玉」

東宝映像美術 水のない水族館

「夏休みの宿題の工作」の延長

「京都コレクション」が終り、その後勤務先の会社が傾いたときにいち早く抜けた鎌田さんは次のステージを「和紙造形」に定めていた。雇用保険をもらっていた1年間は各地の和紙工房を訪ね歩き和紙造形作家たちの作品にも触れて回った。

「これまでの経験で得た自分の技術を組み合わせることで、和紙を用いた面白い作品を造ることができると確信していました」

各産地の和紙工房を訪ねた成果として、鎌田さんは丸く立体に漉きあげた和紙造形のサンプルを携え、あらためて福田弘平氏を訪ねた。「雇っていただけますか?」押しかけ求職だった。烏山和紙の後継者として時代に生き残る新たな和紙を模索していた福田氏は期待を込めて承諾。

「工房の工場長に『長年和紙を漉いている僕らにはこういう発想はない』と言われました。55歳からの転身でしたが、工房で商品開発のスタッフとして7年半働いてから独立しました。和紙を造形するのは面白い。それぞれの作品に何を使ったらよいか考えて工夫しながらつくっています。和紙だけがいいのか、楮(こうぞ)の樹皮を使ったほうがいいのか、組み合わせる素材は何か、やはり僕は平面ではなくて立体が好きなんですね」

鎌田さんの工房の中心には羽を広げた2mもの大きな鳥の作品がある。「もともと鳥の羽は構造学的によくできています。鳥の飛ぶところ、着地するところ、筋肉のつき方など、見ていて素晴らしいと思います。それを真似るとこのような作品になります(写真2)。理想的にいうとこの作品も投げて空を飛ばなければならないが、フレームに鉄を使っているので重くて飛べませんでした。フレームを変えれば飛ぶと思います。この鳥と同じ形の凧を学生時代に柳の枝でつくった事があります。この柳凧は投げると綺麗に飛びましたよ」と、あれこれと工夫することが楽しくしょうがないという。

「子どもの頃はプラモデルもない時代でしたから、おもちゃはすべて自分でつくりました。例えば船なども木の原型を削り込んでね、自分が設計して潜水艦を作る。今もそういうことをやっているんです。これはビートルズのイエローサブマリン(写真3)。ここに4人が乗っていて悪者退治に行く」と、まるで少年のように目を輝かせて話す。「まさに『夏休みの宿題の工作』の延長です。そういう風になんでも無節操につくるんですよ」

写真2 『Bird』(翼長1960)

写真3 ビートルズのイエローサブマリン

自分の技を全部伝えたい

最近インスタグラムをはじめたら、そこを通じて注文があったという。「フレームワークでつくる全長7m余の雲です。現場でつくってくれといわれたのですが、歳ですから辛いです。そこで、分割して現場で組み立てることを提案しました。今も『できない』とは言いたくない。しかしできないものもあります。それは同じものを大量につくることです。僕は同じものをつくり続けることは苦手なのです。職人にはなれません」

「つくっていて面白いのは仕掛けを工夫して動く作品。理想はオートマタ(自動人形)でしょうね。決してAIロボットではない。デジタルではなくてゼンマイ仕掛けのようなアナログなものがいい。使ったとしてもモーターですね。形は大きくなくてもいい。できれば羽虫など小さなモノがいい。羽虫はあんなに小さいのにパタパタと羽をはばたかせて跳ぶ機構を持つ。人は鳥になりたいと言いますが、鳥は地上に下りて羽をたたんでそのまま行動できますが、飛行機は下りてそのまま行動はできやしない。だから越えられないものがある。それをアナログ的なもので少しでも近づけられたらいいなと思っています」

創作する作品はアートとは思っていないと話す。だから教室を開き、技を伝えている。「アートではないので他の人が同じモノをつくってもかまわないと思っています」

鎌田さんは栃木県宇都宮市に生まれ、京都市にある同志社大学で新聞学を専攻した。「鶴見俊輔が僕の先生です。できが悪い学生でしたが、なぜかかわいがられました。その頃僕はマンガを描いていたので、『漫画を載せるか』と誘っていただいて先生が創刊した雑誌『思想の科学』に2年半ほど僕のマンガを連載しました。今も『お絵描き』の仕事の話も舞い込んできますが、目も悪くなりどうも絵を描くのは今や苦痛ですね。まあ、これからも仕事の延長線上で描くときがあるかもしれませんが、いろんなことをやりたい。漫画で表せなければ小説もいいかなと思ったりもします」

モノづくりの世界をあふれる才能で切り拓き大いに楽しみ続ける鎌田泰二さん。奥さまは京都から栃木にお輿入れ。「和灯屋」を共に運営しながら、夫の最も良き理解者として彼の作品づくりと人生に欠かせないパートナーである。

和紙あかり教室の生徒たちと

ホテルロビーオブジェ(高さ2m)

和紙スタンド

『灯船(三重)』(全長2500)

黄ぶなとうろう流し

汐留マンション窓明かり

『九星』(径900)

ペットのあかり

鬼怒川温泉ステージディスプレイ

ジョイフル2個展

『HANA』2種類

ヒロコ・ダンススタジオステージ

ホウズキのあかり