アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

ヨ-ロッパの大地 No 2

ヨーロッパ大陸は車で行ける

それは約46年前だった。最初にヨ-ロッパの大陸に立ったのがパリ。地図を見てパリからどこの国でも地続きで行ける、「うわ-、嬉しい!」と単純に思った。

日本で二十歳の時に車の免許を取得した時、とても自由になった気分だった。私が小学校低学年の頃(1953-5年)、イギリス人の宣教師が深緑色の小型トラックで牧師であった父に会うために度々我が家を訪れていた。

ある日その宣教師が小学生の私に運転の仕方を教えてくれたのだった。まだ戦後7、8年くらいなので、当時は決して田舎町でもなかった小都市(足利市)に住んでいたのだが、車は一般市民が乗り回すほどではなかった。私はまだ小さいので、ペダルが遠くて届かなかったが一生懸命ペダルに触れようとしたのを覚えている。その時幼いながら思ったのは、この大きな鉄の塊が手足の操作だけで動かすことができるという驚きだった。それは私の頭に強烈に残り、いつか必ずこの自動車とやらを動かしたいという願望がずっとあった。そして、まだ女性運転者が珍しい頃の55年前、1965年に運転免許を取得した。事務所のおじさんに私のいで立ちを見て「ダンプの免許かい?」なんてからかわれたのも女性免許取得者が少ないせいでもあった。

パリで免許書き換えをしなかったのでだめにしてしまい、パリで再び自動車教室に通い、一から文字通り頭を三角にして苦労して筆記試験と実技を受けてフランス国発行の免許を取得した。当時私は知らなかったが、パリの日本大使館で一定の手続きをすれば良かったと後に聞いたが、私にとっては良い経験だった。それは約31年前で私は44歳になっていた。自動車学校での初日、教習所でお兄さんに「トラックの免許?」と日本と同じことを言われ「まったく!どこの国の男も同じか!」と憤慨したものである。筆記が40点満点で35点以上合格。これを2回34点で落ちたけど、どこでミスしたのか教えてくれない。落とすための試験なので、何秒かで正しい答えを選ばなければならないので大変だった。フランス人はビ-ルとワインをアルコ-ルと見ていなかったので良く落ちた。それは40度以上の強い酒をアルコ-ルと見ていたのだ。そしていよいよ実技テスト。試験官が試験後「昨日、日本のエンペラ-が亡くなったね」などと。私は結果を早く知りたいのでイライラしながら聞いたら「パ-フェクトでした、100点です」と。その日は若いフランス人男性2人とアジア人のおばさん(私)と試験官の4人が乗って、生徒は交代に30分ほど交替で路上テスト、皆ドキドキだった。フランスは最初から路上で実技、高速で北フランスの海まで行ったことがある。私が「あれ海?」とびっくりしたら教習所のお兄さんが「そうだよ」。彼と生徒3人で海辺のレストランでおいしい料理を食べた。もちろんワイン付き、フランスですから。

この頃、夫はフランス国の南極越冬隊の特殊機械技術者として南極に約1年間滞在。息子はまだ5歳だったので、友人にシッタ-をお願いしたが、幼稚園が休みとか半日とかヴァカンスなどが結構あるので、結局は日本から母を呼び寄せてシッタ-をしてもらった。本当に母親の存在はありがたい。試験の合格後、家のドアの所で私は寂しい顔をして「試験落ちた」そして10秒後、満面笑顔で「受かったよ-」、母は「そうだと思ったよ」とにっこり。1か月後、ピンク色の運転免許書が届いた。フランスでは免許の書き換えはないので、半永久的な大事なライセンスである。ちなみに日本のような車検もなかったが現在はある。(当時は車の文化が早かったので「どんな靴を履こうが勝手だろう」ぐらいの意識だった)

母の帰国後まもなく、ヨーロッパ大陸を車で疾走したくて、5歳の息子を連れてポルトガルに向かった。(つづく)

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RENAULT

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

TOMOKO KAZAMA OBER(トモコ カザマ オベール)

1975年に渡仏しパリに在住。76年、Henri・OBER氏と結婚、フランス国籍を取得。以降、フランスを中心にヨーロッパで創作活動を展開する。その間、78年~82年の5年間、夫の仕事の関係でナイジェリアに在住、大自然とアフリカ民族の文化のなかで独自の創作活動を行う。82年以降のパリ在住後もヨーロッパ、アメリカ、日本の各都市で作品を発表。

主な受賞

93年、第14回Salon des Amis de Grez【現代絵画賞】受賞。94年、Les Amis de J.F .Millet au Carrousel du Louvre【フォンテンヌブロー市長賞】受賞。2000年、フランス・ジュンヌビリエ市2000年特別芸術展<現代芸術賞>受賞。日仏ミレー友好協会日本支部展(日本)招待作家として大阪市立美術館・富山市立美術館・名古屋市立美術館における展示会にて<最優秀審査賞>受賞。09年、モルドヴァ共和国ヴィエンナーレ・インターナショナル・オブ・モルドヴァにて<グランプリ(大賞)>受賞、共和国から受賞式典・晩餐会に招待される。作品は国立美術館に収蔵された。15年、NAC(在仏日本人会アーティストクラブ)主催展示会にて<パリ日本文化会館・館長賞>受賞。他。