ナイジェリアで数年おきにある選挙が近づくと、国の事情を良く知っている会社のベテランのフランス人たちの口に上がるのが「暴動」とか「クーデター」とかいう言葉だ。「どうして?」と、よく分らなかったが、やっと理解できた事は、選挙時のゴタゴタを狙い、または利用して、部族間がこれ幸いと権力拡大を図るようだ。これは他のアフリカ諸国でも何回もおきている。ここで私の人生で(といってもまだ32年間ほど生きてきただけだが)、最悪の事態を目にしたのだ。
カノの町が近づき我が家へ帰る午後のガタガタ道を車を走らせていた。突然、遥か彼方の集落のあちらこちらから火の手が上がり、黒煙が上がっているのが見えた。この不思議な光景は?とっさにこれが噂されていた暴動だと分ったら、夫も私も顔が引きつり、さーっと血の気が引いた。夫は必死に前方をにらみながら車を飛ばしていた。私は窓から横を見たら人がタイヤに埋め込まれ、燃やされているのが目に入った。私は「うっ」と言葉を飲み込んでそのまま言葉が出てこなかった。
その日以来、私は何週間か失語症のようになり普通に話す事ができなかった。そして数カ月間、人間の燃やす匂いが鼻に付いて離れなかった。
家にたどりつくまでの途中の道で、両側にズラーっと部落の男たちが蛮刀や石を手にして、黄色や赤い歯(植物の葉や木の実を口に含むとこんな色になり、麻薬のような効果がある)でニヤニヤしながら、威嚇してくるのには身の毛がよだった。
「あの刀で切り刻まれたりしたら苦しんで死ぬのかなー」、石を死ぬまで投げつけられる石投げの刑を思い出しながら、「すごく痛いんだろうなー」と、考えていた。夫は少し速度をゆるめて慎重に運転し始めた。夕方やっと我が家に無事に着いたが、私たちがなかなか帰ってこないので、フランス人居住区の門にはみんなが心配顔で待っていた。
お互い対抗するいくつかの部族間の人たちを区別するために、一人ひとりシャツなど着ているものをめくらせて、腹にそれぞれの部族の印のナイフの傷が刺青のようにあるので、これで識別しているという。印を見て敵だったらすぐその場で殺し、石油をかけすぐ燃やす。そうしないと熱帯では腐敗が早く自分たちにも被害が来るという。一人でも敵が部落の中に逃げ込んだら、ヘリコプターでその部落全体を射撃する。全員を一掃するということで「大掃除」と呼んでいるらしい。だからフランスの新聞に3000人の殺害の数も300人と報道される。
フランス人の家族のボーイもすぐ逃げた人や、つかまって殺された人もいたと聞いた。いつ私たちも巻き込まれて、命の危険にさらされるか分からない。
会社の家族は集会ホールに集まりどうしたらいいか話し合った。空港閉鎖、ここには本国を含めどこからも助けが来られない。皆の意見は北のニジェール国(旧フランス領)に逃げようということだった。しかし何百キロか北上しなければならず、果たして国境が開いているかどうかも分らない。その夜、全員まんじりともせずホールに集まって話し合いをしながら過ごした。パスポ-トと重要書類だけを身につけ、車のガソリンを満タンにしていつでも逃げられる準備をしていた。
私は1945年に生まれた戦争を知らない世代である。人と人の殺し合いという理不尽で悲惨な場所に茫然としながら、日本の母や家族の顔が走馬灯のように廻っていた。「ここで死にたくない」と強く思った。
しばらくすると夫は「これは対フランス人ではないから帰ってもう寝よう」と私に言った。そして二人で敷地内の家に帰ることにした。
デッサン「村に火の手が……」
デッサン「殺された後タイヤに埋め込まれ燃やされている人」
(つづく)