2012年に天竹博子さんと初めてお会いした。大統領官邸の近くの画廊だった。彼女の企画で開催した写真家ディミトリー・トルストイ(ロシアの文豪トルストイの曾孫)の個展会場であったが、沢山の人たちが訪れ、熱気で画廊はパンクしそうなほどであった。その中でひときわ目立つ和服を着た日本女性が、トルストイを来場者に紹介しながら人々の間をぬって歩くようにしていた。その人が天竹さんだった。私はその2年後に彼女を通して写真家ディミトリー・トルストイをインタビューした(電子版パリ通信No.30)。彼女は単にアート・コーディネーターではない。豊富な武具を身に付けてパリで多面的に生きているように見えた。いつか彼女も記事にしたかったので今回長年の思いが叶ったのである。彼女の一部を切り取って主にブドウ園の話を中心に話を伺った。
筆者トモコ・オベール(左)と天竹さん
ワイン愛好家オーナーズクラブに参入
フランスはもちろんヨーロッパでのブドウ畑の所有者は昔から王公貴族や僧侶であった。今はその子孫たちや裕福な層の人々、また近年自然志向に伴いフランスの俳優たちも自分のブドウ畑を所有するようになった。天竹さんに会ってから日本人の一般女性もブドウ園の株主になることができるということで、私もとても興味があった。
「2010年の9月のフランス・ソワールの新聞にブドウ園についての面白い記事を見つけたのです。それは過去に僧院のブドウ園で僧侶たちがワインを作っていましたが、現在は放置されて荒れ地になり、この土地の隣のブドウ園のオーナーで株主、現在のクラブのオノロジスト(ワイン学者)でもあるソフィ・ジェリの夫フレデリック・ジェリ氏(歯科医)、オリヴィエ・ムトン氏(パリ9区にあるワインバー「神の雫」のオーナー。天竹さんのワインもここにある)、フェレデリック・ビヨン氏の3人が、この荒れたブドウ園を株式制度で450株、1株580ユーロでワイン愛好家のオーナーズクラブの創立を思いつきました。ブドウ園継続のための資金集めに新聞に趣旨を掲載し株主を募集しました。私は記事を読み、なかなか良いアイディアだと思って連絡、フレデリック・ビヨン氏が応対してくれましたが、あるだけの株を全部譲ってほしいと話すと、すでに1株しか残っていませんでした。とりあえず早速購入することにしたのが始まりです。1株につき60本の割り当てです。毎年クリスマスになると、ロウで封印されたカプセルで株主の名入りのラベルで前年度の収穫ワインが届くのです」
パリに長年在住して行きつくところが、やはりワインなのであろう。
「ブドウ園を継続させるアイデアが良かったと思いますし、私は食べる事が好きで人生は楽しむためで、やりたいことを40年以上やってここまで来ましたので。私の前のフランス人の夫も食道楽で、私はパリを問わずフランス中の名だたるレストランで、彼と一緒に素晴らしい食事をしました。それらの食事に伴う美味しいワイン、チーズ、デザートの味も自分のものにしたのです。これからも自分が感じ、波長の合う人たちと人生を楽しみたいと思います」
彼女がブドウ園に注目したのはフランスの大地に「ほれ込んだ」ことだと思う。このブドウ園は南仏のオード県にあるオーヴェリアン(パリから約785km)で、昔からワインに適した広大な土地と中世の城があり、ワインの苗などに関する専門家による適切なアドバイスがある。クラブ形式の個人の持ち物としては、ワイン作りに適した素晴らしい条件が満たされている。
先日天竹さんの家に招待された時、2011年のワインをごちそうになったが、南の太陽を十分受けた濃厚な味わいで、それでいて癖がなくすっきりした味である。ジビエやチョコレートケーキによく合うと言われている。
「私たちのような株主はコモンドールとも呼ばれ、3つ星レストランのオーナーシェフ、テニスマン、医師、弁護士、ジャーナリスト等、各分野の愛好家達の集まりです。今年の収穫祭は9月末のウィークエンドで、今年は豊作だったのです。取りたてのブドウを翌日に飲むのですが、まだ発酵前でとてもフルーティー、それでもアルコール度数は3度、時間が経つ毎に発酵状態が加速していくのが目に見え、これを味わえるのがコモンドールならではの醍醐味です」。一般の店で販売していないので、契約しているレストランやワインバーでのみ味わうことができる。
天竹さんのワインがあるワインバー「神の雫」
天竹さんのワイン
ワインバー「神の雫」オーナー、オリヴィエ・ムトン氏と
筆者トモコ
天竹さんとオリヴィエ・ムトン氏
ワインバーのワインセラー
ワインは普通サイズ(750ml)、マグナム(1500ml)、ジェロボアム/Jeroboam(3000ml)の3種類がある
日本を発って半世紀パリで羽ばたく
天竹さんは神戸の造船会社社長の父と専業主婦の母を両親に持つ。長女として可愛がられて何不自由なくのびのびと育ったようだ。中学時代から英語はいつもトップクラス。将来は国連の同時通訳者を目指すようになった。父からは英語の個人教授をつけてもらい、英語の実力を増していった。母はしつけに厳しく「女の子はお嫁に行って子どもの世話をする」と言う、古風な人だったという。シアトルに留学して英語をさらに勉強する予定が、突然の父の死でキャンセル、大学卒業時であったが、それではと、キャセイパシフィック航空でキャビン・アテンダント(客室乗務員。当時はスチュワーデスと言われていた)の募集に応募し合格、香港に研修に行ったのが日本を離れるきっかけであった。
「でもね、職業病である鼓膜破損が2回もあり手術をしました。初めてのこの仕事をやめ香港を離れて、1974年からもう何回も来ていた大好きなパリに移ったのです。キャセイ航空パリ支店のディレクターの紹介で午前はホテルの受付やヴァンドーム広場(パリの高級宝石店やホテル・リッツのある広場)で働き、午後はパリ第4大学ソルボンヌでフランス文明・文学を学びフランス語の力をさらに身につけたのです」
英語・仏語・日本語での接客業はキャビン・アテンダント時代で磨きをかけていた。やがて、日本の企業やフランスの企業、大使館など国の重要なポストの人たちとの接触があり、その際の通訳・翻訳・コーディネーターを任されるようになった。そしてフランスの保険会社からヘッド・ハンティングされて14年間勤務している。当時フランスの会社では、彼女のような管理職の重要ポストを与えられる日本人はいなかったそうだ。
アマタケ・アート協会(A・A・A)を立ち上げる
「もともと芸術、美術関係が好きでしたので、この分野で仕事をしたいと思っていました。2000年を転機に自分のしたいことを実現しようと思い、会社を辞職し、毎年学びたい項目を決め研修参加をしていました。またコミュニケーション研究を深めるのに日本の大学の通信教育で人間学を専攻したり、パリの国立学院建築住宅応用経済法律学部で、不動産法、管理法なども学びました。ウェブサイトに私のアマタケ・アートのサイトを立ち上げるために、イルド・フランス県主催の研修会で半年間特訓を受けました」
彼女は「興味のあることに情熱を持つのが趣味」と言っていたが、まさにその言葉通りで、いつも学び続けて自分のものにしていく姿勢は、若い時から変わらない。何回かの自分のアパルトマンや事務所の売買も(仏人でも難しいが)、自分の力で全て解決している。上記のような専門的な勉強と資格を持っているからできるのだが、強力な武具をさらに身に着け好きな仕事のためには、まるで「蝶のようにひらひらと自由に舞う」という印象である。
優れた体格の彼女はゴルフと水泳で鍛えられており、いろいろな国でゴルフのアマチュア試合に参加し、好成績を収めている。ゴルフの後は海にカタマラン(双胴船)で遠出をして泳ぎ、夜はダンスと、遊びの天才だ。
「今考えていることは、近い将来、『人に喜んでもらうこと』をしたいのです。現在、ますます貧富の差が出てきています。『金は天下の回り物』、お金は手段であって目的ではないのですが、これがないと『絵に描いた餅』になってしまう。必要なのは資金と人材ですね。そして人生楽しく過ごすことです」と、いつもの人懐っこい笑い顔がこぼれる。
シャトーの前で
ブドウ畑で
収穫祭で
収穫祭の様子
収穫祭で、天竹さん(左から2人目)
2012年12月にモーリス島でプロのゴルフ選手Johannaとチームを組んでコンペに参加した
800ユーロからブドウ園のオーナーに!!
ワイン愛好家オーナーズクラブとは、持ち株に応じてブドウ園の土地所有権利と、毎年クリスマスに前年度収穫のブドウ酒を受け取ることができるシステムです。
オーナーズクラブに参加ご希望の方はhirokoa@orange.frまでご連絡下さい。詳細をご案内致します。
■ブドウ園『Commanderie des Hospitaliers』はフランス南西ラングドック=ルシヨンのカプタングの隣にあり、気候に恵まれた立地条件に位置する。
毎年9月には株主たちがヨーロッパ、日本、フランス各地から収穫祭に集合。翌日は葡萄酒醸造所に集まりテイストし、葡萄酒醸造研究家から説明、いろいろな知識を得る。この研究家は代々続くドメーヌ・プレッサンの地主でもあり、母親からこのシャトーを相続した。
TOMOKO K. OBER(パリ在住/画家)