置鮎早智枝(おきあいさちえ)・霜田文子(しもだふみこ)・風間偕子オべ-ル(かざまともこ・オベール)
2019年の12月9日から18日まで、私と2人のアーティストの3人展がパリ6区のエチエンヌ ドゥ コ-ザン画廊で行われた。パリで数回個展を開催している東京在住のアーティスト置鮎早智枝さんと何年ぶりかにお会いした。もう一人のアーティスト霜田文子さんとは今回が初めてだが、新潟県出身の彼女に会って同県生まれの私は幼いころを懐かしく思い出した。会場となるギャラリーはセ-ヌ通りのパリで最も古い画廊街。19世紀からの画家たちのたまり場となっていたカフェなどがあり、1682年設立のパリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)が正面にあるボザ-ル通りの先に位置する。
ところが12月5日からパリでは公務員たちのストが始まり、9日のオ-プニングでもメトロなどの交通機関がストップしてしまった。通常の展示会では約100人以上の日仏人のアーティストや芸術に関わる他分野のアーティストたちが集まるところが、約30名ほどの来客にとどまった。しかし、徒歩しかほぼ交通手段がないところを長時間も歩いて来廊してくださったことは本当にありがたかった。オープニングの日、置鮎さんは宿泊させてもらっている郊外の友人宅からタクシ-を使用したが、ストで道路が閉鎖され、顔を真っ赤にし髪を振り乱しながら着物と草履でその後40分近く歩いてきてそうだ。私は往復約3時間かけて歩いて画廊に通うことになってしまった。
トモコと作品1
トモコと作品2
置鮎さんへのインタビュー
―あなたのプロフィールやコンセプトを拝見させていただきましたが、お父様の影響が大きいように思いますが?
置鮎 はい。父は着物のデザインが専門でした。幼児期から淡く輝くシルク糸の絡みに美しさを感じたり、着物の色見本や型見本を広げて玩具の様に遊んだ日々、7才頃母のお気に入りの着物をこっそりとハサミで切り、私のお人形の着物に縫って嬉々としていたら凄い勢いで叱られて……。 本物の中で育ちその日本的な美意識が培われていた事に、絵を描き始めた50歳頃改めて気がつきました。
―フランスをはじめいろいろな国で何回か個展をなさいましたが、今回のパリ3人展では、何を主題にして展示しましたか?
置鮎 近年のテーマは『Le songe』モンテカルロバレエ団の振付師 ジャン・クリストフ・マイヨーの振付に共感しています。それは各ダンサーに恣意的な動きをさせながらかつ自然体に見える、しかもコミカルさも追随して楽しいく美くしい。私がモチーフにしている和歌や俳句などは感情を誇張せず、あまり空想も詠まないのが定説ですが、しかし私の描く漢字やかなはコミカルで躍動的になり、『歌の持つ心や音』が荒唐無稽と化していきます。
置鮎さんと作品
置鮎さんの作品の前で
①置鮎さんの作品「Le Sonje」
(写真① 春の歌(3首)でコミカルさと、のどかな春風駘蕩を表現)
毎回のテーマですが和紙と墨の絶妙な関係を出す事に神経を使っています。
②置鮎さんの作品「あいうえお」
(写真② モダンバレエの動きで「あいうえお」を表現)
5~6枚ほど和紙を貼り重ね、下から写る文字で動きの効果を狙っています。
霜田さんへのインタビュー
―あなたはなぜ東大の美術史科を専攻したのでしょうか?
霜田 生まれ育ったのは新潟県柏崎市のはずれの農村地帯です。就学前から絵を描くことが大好きで、晴れた日には棒きれを拾ってきては地面いっぱいに何かしら描いていました。でも中学校に入ると、田舎の小さな学校でしたから美術の専門の先生がいなくて、体育などの先生が兼任で、たぶん先生は自信がないからマニュアル通りに必死に教えておられたんだと思うのですが、全く面白くなくてすっかり美術の授業が嫌いになってしまいました。高校では選択だったので美術の授業を受けていません。でも高校1年生の時の数学の先生が、転勤されるというのでお引っ越しの手伝いに行ったところ、たくさんの展覧会カタログを、好きなだけ持ってっていいわよ、と言われて何冊も持ち帰りました。生(なま)の展覧会など観たことがありませんでしたから、カタログをなめるように見て東京で展覧会を観ることに憧れていました。
東大は1、2年は教養課程で、専門の学科は3年に進学するときに決めます。東京で本物の美術作品に触れる機会も多くなり、美術史学科に進みました。日本の近世絵画史の第一人者・山根有三先生のもとで、当初は日本の近世絵画を専門にするつもりでしたが、時代を遡っていくうちに中世以前や、絵画以外にも関心が強まっていき、運慶の最初期の仏像である奈良の円成寺大日如来坐像を見てすっかり仏像にはまってしまいました。そこからさらに時代をどんどん遡り、卒論は7世紀後半(白鳳時代)の、金銅仏(ブロンズ)について書きました。
―卒業後は新潟に帰りましたね。結婚、子育てその他あったかと思いますが、90年ころ油彩を始められたそうですが、どうしてですか?
霜田 一応美術の情報についてはアンテナを張ってはいましたが、専門といっても美術史学科で学んだのはほんの2年間だけですし、研究室を離れれば美術史として続けるのは難しい。だったらよりよい鑑賞者になろう、自分でも制作すればもっと深い見方が出来るのではないかと思って、一番基本になる油絵を始めることにしました。「見るために描く」という感じでした。地元の同世代の人たちとたまにデッサン会をしたり年1回発表会をする程度で、ほとんど独学でした。
―現在のボックスアート、バーントドローイングはいつごろから始めたのですか?
霜田 2007年、柏崎のあるギャラリーでボックスアート展をするというので30センチ四方の木箱を一つ渡されて、作ってみたら評判がよくて、私も自分に合っているのではないかと思ってはいました。2010年にまたそのギャラリーから今度は4つ箱を預けられて、それでシリーズのように作ろうと思ったのです。私は油絵でずっと卵、それも卵の壊れ易さ、孤独、閉鎖性をテーマにしています。あるとき卵の殻を箱の中に置いてみたら、いっそう孤独感が増したようでした。さらにレオナルド・ダ・ヴィンチの頭蓋骨デッサンと卵の殻がよく似ているなあと思って貼り付けてみたら、私の脳の代わりになって箱の中にいろいろとモノを呼び寄せてくるのです。
それからまもなく2011年東日本大震災と原発事故が起きて、日本はどうなるのだろうと、本当に不安でした。ほとんど子供のように、得体の知れないものに脅えるという感じだったのですが、箱に向かっていると何もかも忘れて心を落ち着けることが出来たのです。卵やモノたちを置く背景に、何か描きたいと思って、でも自分の意志ではない線が引けないかと思っていろいろ試してみて、線香で和紙を焼き切り、紙片を貼り合わせるという方法を見つけました。これは卵=脳内の地図です。そのうちに、その背景部分だけでも作品として成立しそうだと思い、バーントドローイング作品を作るようになりました。
―主に新潟と東京で個展またはグループ展をなさっていますが、パリは初めてということですが、感想はいかがですか?
霜田 それまで地元以外ではあまり個展もしていなかったのに、いきなりパリでということで不安はありましたが、とにかく自由で伸び伸びした気分になりました。会場がギャラリー街なのであちこち見ましたが、いろんな国の人が集まり、多様で個性的。その一方でプリミティヴっぽいのも目につきました。見に来て下さる方が作品についてきちんと語り、質問するということ、そして作家もそれについて言葉でしっかり答えなければならないということがよくわかりました。
3人展開催の準備中
霜田さんと作品
霜田さんの作品
―今回は何を主題にして展示しましたか?
霜田 ボックスアートを主体に展示したわけですが、言葉が通じなくても語りかける力があるもの、独自性があるものという観点から選びました。卵は人間の頭と形が似ているので、そこに頭蓋骨デッサンを貼り付けて頭脳の代替物としましたが、卵の殻も頭蓋骨も“抜け殻”です。“抜け殻”とは確かにそこにありながら生者の時間の外にいて、生者を見返し強烈な存在感を放っています。だからボックスの中は“抜け殻”が逆照射する世界でもあります。
霜田さんの作品1
霜田さんの作品2
霜田さんの作品3
霜田さんの作品4
―今回は残念ながらスト中で、大変でしたね…。
霜田 ストの中、お越し下さった方には本当に感謝しています。偕子さんも早智枝さんも大変だったと思います。私はたまたまモンパルナスのホテルに宿泊していたので会場まで歩いて30分でしたから助かりました。ギャラリーとの往復の度、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の前を通り、ロマネスクの塔や、温かみのある聖堂を眺めては心を慰められました。ただ、これもストのせいだと思うのですが、ルーヴル美術館では見たいと思っていたところに赤いロープが張られていて入れなかったり、オルセーでは突然閉館になって追い出されたりと、世界中から来ている観光客にも配慮なしでびっくりしました。
サンジェルマン教会
サンジェルマン教会内部
ジャコメッティの作品(ジャコメッティ美術館)
ジャコメッティの作品とアトリエ再現(ジャコメッティ美術館)
―今回のテキストが「ダ・ヴィンチの卵あるいはものが見る夢」とありますが、ちょうどルーヴルでダヴィンチ展が開催されており見に行きましたね。。
霜田 事前にチケットをとっていただいていてありがたかったです。油彩の実物を見るのは初めてでした。透明色の重なり、光の効果、筋肉の表現、極めてデリケートな表情のとらえ方、何をとっても素晴らしいとしか言い様がない。未完の作品が多いのも、完璧主義ゆえと納得がいきます。もともとは手稿(コーデックス)の方に興味があって、特に「大洪水」シリーズが好きです。生涯繰り返された水流の観察と没落のビジョンとの相関関係をもっと知りたいと思っています。私のボックスアートの中の卵には、ダ・ヴィンチの頭蓋骨デッサンの向かって右半分を、和紙にそのままコピーしたものや、反転させてコピーしたものを貼り付けています。このデッサンを見たとき、髑髏、つまり死の象徴というよりも、この中に脳が入っていたんだな、これが脳を守っていたんだな、と思ったのです。ダ・ヴィンチの頭蓋骨には情緒に流されない、科学的な役割としての頭蓋骨が描かれているのだと思ったのです。でも、絵画としてもとてもいい。とにかく何にでも興味を持ち徹底的に自然観察したものと芸術表現が見事に一致しているのが、ダ・ヴィンチなのだと改めて思いました。
置鮎さんと霜田さんのお二人に伺います。
―来年または先の予定がありましたら教えてください。
置鮎 2020年は国内では恒例のように新年早々1月から展覧会が始まり11月まで8回ほど展が続く予定です。そして10月フランス・ロワール地方のブロアで個展の予定です。2021年は恒例行事の展覧会ありますがその他は未定です。
霜田 4月に新潟市で、6月に北方文学編集長の柴野氏と私とで企画運営している「游文舎」で個展をします。個展は今のところそれだけですが、出来れば今年中に今まで書いたものを本にしたいと思っています。
―最後に、あなたにとって制作とはなんでしょう?枠組みだけでも分かりやすくお願いします。
置鮎 制作とは、“飽くなき挑戦”です。“生き物のような線、重なる線の動き”を常に新たな描写でをトライをしています。そして付加価値の挑戦です。私の絵からコミカルな動きや、絵の中のから音楽が聞こえる」と言われます。それは墨と毛筆特有の線と遊び、そしてこの素材「墨」の無尽蔵に近い表現力と深い存在なのでしょうか、その追求もしかりです。
霜田 先ほども言いましたように、もともと発表するために描いていたわけではありません。セルフトートではあるけれど、アール・ブリュットとは違って、それなり知識はある。すごく中途半端だと自己嫌悪に陥ったりもします。それでも続けている一番の理由は、表現することは、自分の考えをより深めていく事だと思うからです。自分で表現することは、見たり、読んだり、聞いたりしたことを格段に掘り下げさせます。つまり自分自身の思考を追求していく場であり、ひいては自分を見つめ直す場なのだと思っています。私はいつの間にかぶつぶつ言いながら制作しています。油彩にしてもボックスアートにしてもバーントドローイングにしてもみんな自分の内面の地図だと思っています。
私(筆者)は「流動性と固定性」の副題を付け3人共自由に選んだ作品を展示した。私は新作’渡りの時〈移動の時〉’と抽象の‘ヨ-ロッパ風景‘、そして10年前の旧作’ゴワルゾ村で見た〈ナイジェリアの白黒模様の巨大芋虫〉‘から選び色彩のメリハリをつけた。
トモコの作品「ゴワルゾで見た」
フランス旅行記 -置鮎早智枝
2019年12月19日ストのパリから離れて南のモンペリエに。
早朝4時過ぎ郊外のベルサイユからバスに乗り継ぎパリのモンパルナスに、それからリヨン駅へ。ラッキーにも間引き運転のTGV(高速鉄道)が予定通り発車した。行き先は友人の娘さんが住む南仏モンペリエへ(フランスの縦断列車で約3時間半、南へ750km)。前日に3人展を終え遅刻を恐れて殆ど寝ずに友人と喋りまくったおかげで車内では爆睡、眠りから覚めると車窓は「オレンジピンクの屋根に糸杉」の風景画に変わって無事到着!何しろ今回はゼネストの最中で移動手段の予測が付かず、行き当たりばったりのスケジュールだった。
噂に聞いていたモンペリエはクリスマスで賑わう華やいだ夜からだった。中心地に沢山の電球で青く輝く大きな地球儀が有り思わず小さな日本を発見して安心。入り組んだ夜の路地はヨーロッパ特有の風景に沢山のパブ、店には学生の街らしく多くの若者が集っていた。一部の通路にはストリート別にハートや手紙などの可愛く分かり易いイラストが描かれており、同様に市中を走るトラムには外側全面カラフルな絵が描かれ路線ごとにデザイン画が違う、これで乗り間違いがないだろうと得心。
驚くのは床屋もギャラリー!?店内は天井から壁面空間まで絵画やオブジェが並びディスプレーも上手い、しかし床屋ばかりではなく他店も甲乙つけがたい個性あふれるレイアウトだった。
極め付けはパリでは経験出来無い商魂たくましいギャラリ-のオーナに連れられて眼鏡屋行った。商品説明から道具やアトリエの隅々まで案内され、彫りの浅い「日本人にも似合うメガネが有る!」等あれやこれやと店のオーナにデザイナ-そして客までが三位一体となりセールストークが続いた。洒脱で明るく皆んなで歌まで歌いスマホのポケトークでインタビューも受けたし、大笑いだった!そんな面白さが大学の街を盛り上げている気もした。しかし聞けばここには美大がないらしい~。古い歴史的な建造物に洒落た街を創る市政が垣間見えたのだ。
繁華街から少し外れて小さな凱旋門があり、そこを抜けると威風堂々とした荘厳な大聖堂が現れ思わず息を飲んだ。辺りには人影はなくライトアップされた石の重厚な建造物が中世にタイムスリップさせている。重いドアを開け聖堂内に入ると高い天井にアーチ状のヴォールト(アーチを平行に押し出した形状を特徴とする天井様式および建築構造の総称である。)に再度ため息をつき、神聖な祭壇の前では説明出来ない威圧感と抱擁力、別段悪い事をしていないが思わず<神の許しを乞おうと>思ってしまった自分が居た。
今回フランスの数カ所を巡って、何処も「全ての道はローマに通じ」を体感した。これまで何度かイギリスやフランス、他ヨーロッパ6カ国を訪れて感ずる事は、共通して石の文化で表す歴史とキリスト教(勿論他宗教有り)。日本では目にすることの無い、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックにロココなどの建築物。その建築史もヨーロッパの成り立ちが深く関連し、風土に文化、狩猟民族的価値観で自分の主張が先行する。「行動力に優れているが、計画性には乏しい」とも言われる、ストが先行する労働者の権利等ほんの一端を見た今回の旅だった。
地図
アンポワーズ教会にダビンチが眠っている
ニームの街
フランソワ1世がダビンチを呼び寄せた城
置鮎早智枝 プロフィール
1950年 石川県生まれ。
1972年 セツモードセミナー(デザイン学校)ギャラリー勤務の傍ら、イラスト・ポスター等デザインの仕事を始める。
絵画制作 2000年~から本格的絵画制作に入る。
公募展
2000~10年 女流画家協会展 (東京都美術館)
2001年~ 新制作展出品(新国立美術館)
個展(2006年~)
絵画とイラストの個展(ロシア サンクトペテルブルグ)、「置鮎早智枝展」(銀座)、「文字は歌う」(銀座)、「置鮎早智枝展」(新宿駅西口)、「置鮎早智枝展」(柏崎)、「文字は歌う」(新宿 2回)、個展(フランス・サンブリュ)
アートフェア(2009年~)
マイアミ(3回)/シカゴ/バーゼル(スイス・2回)/ゲント・ベルギー/バルセロナ/スペイン/NY/韓国/上海/ロンドン(2回)
海外展(2004年~)
ロシア 日本 国際芸術交流展/ゴルバチョフ平和賞(サンクトペテルブルグ)
日本 フランス現代美術展(国際フォーラム)
Japanese‘MA’(ニューヨーク)
アジア芸術交流展(In ULSAN 韓国)
Ie moir et Ie dlanc(パリ)
ゴッホ/ガシェ医師のアトリエ4人展(オーベール・フランス)
3人展(フランス人2作家)(パリ)
4人展(メキシコ人2人、日本人2人)(メキシコ・チアパス)
3人展(パリ在住1人・日本人在住2人)(パリ)
国内グループ展
2000年~ 毎年6回~8回出品
仕事
デザイナー イラストレーター(1975~)
ショッピングバック/服装デザイン/ポスター/イラストボード/ウェルカムボード/名刺/キャラクター/パッケージ/看板/挿絵/装丁画/ポストカード/他
日本美術家連盟会員/新制作協友/日本建築美術工芸協会会員
霜田文子 プロフィール
新潟県柏崎市生れ、在住
1978年 東京大学文学部美術史学科卒業
1990年頃より、油彩画制作を始める。2010年よりボックスアート、2016年よりバーントドローイングを始める。
「文学と美術のライブラリー游文舎」企画委員
文芸同人誌「北方文学」同人
新潟市、長岡市、柏崎市などで個展
グループ展
池田記念美術館(新潟・南魚沼市)、NSG美術館(新潟市)、JAAギャラリー(東京・銀座)、ギャルリー志門(東京・銀座)、O美術館(東京・大井町)、アートコンプレックスセンター(東京・新宿)、他多数