パリで監禁
まだ当時公にはなっていなかったが、2年前の10月ー12月頃より新コロナの噂があり、あっと言う間にそれが現実となって世界中を覆ってしまった。昨年2月のパリを中心とした都市のロックダウンが始まり、大統領からフランス市民に「コンフィヌモン命令」が出た。これは私の知らなかった言葉だったが、毎日「コンフィヌモン、コンフィヌモン」と聞かされていたら耳に貼り付いてしまった。この単語で思い出すのはゴッホの作品の「ロンド」で、囚人が閉じ込められた石の空間で何人かが円を作って回りながら散歩している絵で足には鎖。また、古い塔の薄暗い狭い中に閉じ込められている王侯貴族たちを想起させる言葉である。私は自由都市パリで約47年暮らして、初めて見えない牢獄での捕らわれの身になったようだった。1日1時間1キロ以内の食料買い出し、散歩、薬屋、病院等の人命にかかわるものに関しては許可書持参で許される。
戦時下と違い食料がないとか空から爆弾が落ちてくるとかはないが、この軟禁状態が何時まで続くのか分からないと言うことが、こんなにも人間の精神状態を参らせるのか身をもって感じた。私の場合昨年から今年にかけてパリ、日本、ドイツなどでの作品展示が次々中止や延期になった。自由にあちこちと出かけるのが私のこれまでの動きだったのが、突然目の前でパタンとドアが閉まった。次々とドアが閉まっていくのを見て、さすがの私も参ってしまった。ずぶずぶと底なし沼に沈んでいくような何とも言えない不快感と恐怖感で全ての道が閉ざされ、私はどのように生きて行ったらいいのか、この年齢生きる自信が失われていくようなネガティブな思考に捕らわれた。
私のアトリエは自宅とは別にスチュディオがある。1時間では往復も難しく通えなくなったので、自宅でできる小作品を作ろうと思い、いざ家にある絵の具を見てみると、白はたっぷりあったが他の色がない。間に合わせの墨汁・小さいチュ-ブにわずかに残っていたアクリルの黒・靴墨・パステル・コンテ等の限られた材料で紙に抽象画を100枚程、この閉じ込められている時に描いた。普段は色彩豊かな私の作品なのに、白黒とそれらを混ぜた灰色の作品は寂しい作品ばかりになってしまった。これは今の自分の精神状態が出ているのだろうか?そしてついに限られた絵具と紙・ダンボ-ル・包装紙も使い果たしてしまった。しかし単に作品を作るだけではこの苦しい状態から抜け出せないので、ハタと考え1年後にパリでの個展を考えてそれに焦点を合わせてみたら元気が出てきた。そして今年の2月小さな画廊で2回私の企画で2人展と4人展ができて私は元の自分に戻れたのだ。
このコンフィヌモンが昨年から今年の4月まで実に3回も施行されたのだ。その後少し緩やかになり、時間の制限や移動なども緩和されてきたがまだ以前の様には戻っていない。カフェ・レストランなども外のテラス席で密にならない椅子配置で許可されたので、こぞってテラス席を設置したのだが、これも場所や広さにもよるが税金がかかる。しかし、5月中旬のテラス席は超満員で密なんてものではなく、歓喜による雄叫びの声と共に席や道に人々がこぼれる程の密集ぶりだ。そして知った、人がいなかったパリは全く死んだ都市の様で、人が溢れていてやはり街は以前の活気を取り戻しつつあったのだ。死から生へ復活。
「第1回 日本人芸術家展」会長 本庄谷芳男
NAC(日本人会ア-ティスト・クラブ)のビエンナ-レ展が開設されたのは1982年だが、今回NACの枠を取り払い、他の日本人作家にも参加してもらい「第1回 日本人芸術家展」が開催された。これは昨年の11月の予定が、Covid 19 (コヴッド19―新コロナ)のために延期となり、今年の5月25日にやっと実現できたのだ。47名の作家と195点の作品がパリ6区のセ-ヌ通りにある「エチエンヌ・ドゥ・コ-ザン画廊」に展示された。天気も良く、限定付きのカフェテラス席の許可が下りたのと同時期だったので、1日平均200名以上の方々が画廊を訪れ、作品の購入も近年になく多かったとか。本庄谷氏をはじめ出品者の努力とボランティアにより実現した。今回は画廊を訪れた人たちと出品者たちの笑顔が特別なものに感じられた。それは昨年からのコンフィヌモンの影響で心身ともに閉ざされていた人々が一気に解放された喜びであった。
Premier Salon 2021 AFFICHE A2
画廊
「昔も今も世界中から芸術家が集まる街パリに、私も期待と不安を胸に1983年にロンドンからパリに住居を移して以来、作品発表することがいかに難しいかを感じました。なぜなら、多くの画廊は契約した国際的な作家を何人か持ち、2年程度のローテーションを組んで発表しているのです。なかなか新たに入る余地がないのです。後は貸し画廊での個展やサロン団体展などがありますが、これらも厳しい選抜がありますし、出品料や賃貸料も決して安くはありません。今までのNACの枠を外し、レベルの高い日本人作家であれば、どこの国に住んでいようと、どんどん参加してもらおうと考えたのです。しかもパリの中心で適切な値段でと、非常に難しい問題でしたが、やっと実現したわけです」と、本庄谷会長はなぜこのような形の展示会にしたのか、その思いを語った。
画廊1
画廊2
画廊3
画廊4
画廊5
画廊6
画廊7
画廊8
展示は2020年の11月の予定だったが、1週間前に第2回目のコンフィヌモンのために延期になってしまった。すでに案内状やポスタ-もでき上がり、来賓への案内も終わって、後は細かい準備だけだった。2021年の5月、画廊をやっとの思いで押さえてもらった。画廊側も他の展示の延期が幾つもあり、スケジュ-ル調整が大変であった。
本庄谷氏は長年会長として日本人芸術家の支えになっている。母体であるNACの時は、川辺孝雄氏との共同代表として8年間、その後一人代表者としてから4年間会長職を務めている。
「『日本人芸術家展』第一回展を開催すると決めた時は、コロナ渦でしたのでイチかバチか。やるしかないと言う切羽詰まった思いでした。果たして画家たちは集まるのか、それはお金も関係しますし、集客や壁の割り当てなどの細かい問題が山積みでした。しかし、結果は思ったより良くできましたので、とりあえずほっとしているところです。今後の問題はより一層のレベル・アップを期待します。そのためにも、日本人の優れた作家をフランスに限らず、日本をはじめ世界中から応募者を募っています」
一人の日本人芸術家本庄谷芳男氏は、日本を離れて約40年、パリで日本人芸術家たちを支え、日本人の文化芸術のために奮闘している。 (取材:2021年6月)
トモコの作品と画家 松谷武判氏
本庄谷氏 本人の作品の前で
•本庄谷芳男氏に関する詳細は http://www.honjoya.fr