アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.103

秋田の風力発電 ~景観か、温暖化対策か~

昨年8月末、獣医大5年生の末娘が友人2人を秋田名物『大曲の花火』に連れてきた。翌日、男鹿半島へ案内する道すがら、潟上市の出戸海岸線に群れなす巨大風車に仰天した2人は都内出身で、こんな化け物は東京で見たことがないという。3カ月後の11月、自治医大同期9名が秋田の角館に集まった。翌日、神戸、大阪、奈良の3人を男鹿に案内した際も同じ場所で同じように驚き、関西に風車はないというのであった。

出戸海岸線の巨大風車群(潟上市)

寒風山からの眺め(左は大潟村と八郎湖、右は日本海)

この光景が出現したのは昨年である。隣の秋田市に配備予定の「イージス・アショア」を巡って侃侃諤諤の隙に巨大風車は怒涛の勢いで潟上市に建てられた。当初はその工事で立ち入り禁止区域が増えキノコ狩りができないと嘆くばかりで景観を損なうことに異議を唱える声はほとんどなかった。ところがいざ風車が回り始めると、テレビの映りが悪くなったと訴える住民が急増。当院を受診する患者たちによれば、海岸線に細長く延びる天王地区のほとんどの家に障害が発生していた。

この地に私が住むようになって四半世紀になる。その間、東日本大震災から昨年の台風大洪水まで日本は災害続きだったが、潟上市は無縁であった。男鹿半島に津波被害をもたらした1983年の秋田沖地震でも当市に影響はなく、殊に私の住む昭和地区は海岸との間に大潟村があり、仮に巨大津波が発生しても広大な干拓村が呑み込まれない限り到達しない。大河川がなく氾濫も想定されておらず、山もないため崖崩れの心配もない。強い風のお陰で秋田では最も積雪も少なく、要するに安全地帯だ。

半島の玄関に立つナマハゲと風車

巨大風車にやけくそ踊りをする黒いナマハゲ(男鹿半島・入道崎)

そんな潟上市に突如、巨大風車群である。地球温暖化は何とかしないといけない。だが人口減の秋田は特段の産業がなく県民所得も低く、エネルギー消費が多いとは思えず、そこへ国指定の風力発電「好立地」である。男鹿半島から北の能代沖にかけ90基の洋上風力発電計画も公表され、低周波音、寿命後の始末、雇用につながるのか、景観の変化が不快といった疑問や意見が噴出してもムベなるかな。

半島玄関の船越で睨みをきかすナマハゲ2体。背後に巨大風車が迫り、景観と温暖化対策のはざまで振り上げた出刃包丁の持って行き場がなさそうだ。先月の町内新年会で次のような三池『炭坑節』の替え歌が披露され、私たちは大いに気勢をあげた。


風車が建つ建つ 人は減るヨイヨイ 出戸の海岸 埋め尽くす

あんまり羽根が長いので さぞやお月さん 目障りだろサノヨイヨイ   (2020/2/11)

小田野直武の墓前にて自治医大同期たちと(角館)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。