アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.104

指定感染症2類「新型コロナ」の渦中で

平成2年6月、武家屋敷と桜の角館病院から、花火で有名な大曲の病院へ異動した。本院から車で15分の精神科分院である日、入院患者に肺結核が見つかった。結核は「法定伝染病」である。いつどこで誰と接触したか、感染ルート調査のため保健所が入り、入院患者と職員全員が検査を受けた。その結果、薬剤師1人が無症状なのに陽性と出て、哀れ、本院の隔離病棟へ強制収容されてしまった。

その7年前、内科医として働いていた別の病院に集団コレラの3家族7名が収容され、私が全員の主治医になった。コレラも法定伝染病(現在の感染症法3類。結核は新型コロナと同じ2類)である。隔離病棟に現れた保健所長は犯罪捜査以上に厳しく患者たちを取り調べ、過酷な追求に泣き出す女性もいた。コレラも結核も検査が陰性になるまで外出厳禁である。「医療保護」で強制入院となった精神科患者だって症状が緩和すれば外出は可能だ。法定伝染病には憲法が保障する移動の自由はない。

一方、今回の新型コロナ感染者の行動歴調査ではプライバシーを楯に口を割らない輩が増えているらしい。感染者には濃厚接触した相手がいるはずなのに調査が甘いと人々はますます不安になる。野放しの海外旅行者も同じ。近所の救急隊員が次のような話をしてくれた。

体温38℃の大学生から電話が入った。迎えに行って搬送の道すがら「1週間スペインを旅して2日前に帰った」と判明。指定病院の特設『発熱外来』に搬入したところ、「PCRの結果が出るまで隊員は救急車内で待機」と医師に指示された。3時間も待たされ放免となった彼らは怒る。今のスペインに卒業旅行、しかも発熱だけで救急車…。

伊仏米など欧米各国政府は「家にいろ」と国民に命じ、罰則まで設けた。東京都もやっと3月下旬に「なるべく家から出ないで」と知事が訴えた。その要請に応えた近所のおばちゃんが「週末の3日間、家にいた。テレビで小池さんが言うから」…あのね、秋田は東京と違って人がいないから大丈夫。3月初旬に豪州は出国禁止、入国後2週間隔離、隔離中の宿代は自腹と決めた。日本は月末にやっと渡航・入国禁止を「検討する」とし、費用でもめている。

イタリアでは病院職員の10%が感染するなど医療崩壊が顕著だ。救命機材や防護衣が底をついたのに重軽症を問わずウイルスまみれの人々が病院に殺到する。「発熱くらいで病院に来ないで!」と叫ぶ女医の動画に涙を誘われた。しかし、この調子で新型肺炎が蔓延し、老人を中心に死者数が増えるとイタリアの平均年齢は下がる。豪州の友人は「自宅蟄居を若者が守れば来春はベビーブーム。新型コロナも悪いことばかりではない」というが…。

角館は桜祭り中止で出店禁止、大曲の花火も危うい。春休みに帰るという獣医大の末娘に家人は「ダメ。コロナを持ち込めばうちのクリニックは2週間閉鎖。喜ぶのはおとうさんだけ」と突き放した。(2020/4/2)

かわいい親友と(2019年3月 下野市橋本)

   謎のちゃりんこ少年

ハートインクリニック近所の一番桜(潟上市)

東風吹かば匂ひおこせよ桜花(角館に)花見なしとて春な忘れそ(KOYA 豪州)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。