アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.117

自粛のいろいろな形 ~子供たちの枕投げ~

新型コロナ第5波は終わった。そう期待したい秋田は今、冬眠前の熊で里山が賑わっている。そして、秋田が生んだ-正確にいえば秋田の親が生んで横浜市民が育てた菅義偉首相の任務も終わった。感染者、死亡者数は低く、東京オリパラも結果オーライなのに、あの訥弁では選挙に勝てないと引きずり下ろされた。まだやりたいこともあったろうが、政権を握っても思い通りにならぬが世の常。1年で充分だ。ご苦労さん、ガースー。

月2、3回、週末のコロナワクチン集団接種にかりだされている。高齢者はとっくに終わり今月に入って高校生が増えてきた。秋田県では中学生への接種は8月末終了の自治体から、10月中旬開始のわが潟上市までばらつきが大きい。小学生以下に至っては混沌としており、私の如き精神科医は小児科の先生にお任せとダンマリを決め込んでいる。

その小学生、6年生にとって最大行事の修学旅行は昨年、対応が分かれた。あっさり中止した学校、県内を日帰り観光した学校、田沢湖芸術村(わらび座)に泊まってミュージカル観劇後に役者たちと交流した学校など多彩だった。

ある教師は、どうせ県内なら生徒たちにドッジボールならぬ「枕投げ」をやらせようと古い旅館を探し出した。夕食終了後、この教師は寝室代わりの大広間で生徒たちに告げた。「枕はコロナウイルスだと思え。受け損なったり当てられたりしたらそれが感染というものだ」…帰ってきた子が「あんなに楽しかったのは生まれて初めて」と喜ぶ姿に「13歳で生まれて初めてには参った」と親は驚いた。

逆に悲惨な例もある。参加、不参加を選ばせた学校だ。あるクラスでは3名が親の意向で参加を取りやめた。だが卒業が近づき『思い出のアルバム』編集の段階で関係者は頭を抱える。旅行の集合写真に3名がいない…。人生いろいろ、人もさまざま、後悔先に立たず。菅首相もその親たちみたいに苦い思いをしていないか。些か心配である。2021/10/19

如意輪寺の彼岸花(岩手県北上市)


小安峡(秋田県湯沢市2017年11月5日)

小安峡(2021年10月17日)菅義偉首相の生地に近い

写真撮影:大日向かなえ

21-09-28 レター63

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。