アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.129

贅沢な時間 ~発達障害と加齢~

昔、パリのオペラ座で見たプッチーニの『蝶々夫人』やテレビで見た『トスカ』、またヴェルディの『椿姫』『リゴレット』など有名なオペラは、嫉妬、裏切り、謀略、別離、そして死と、悲惨な結末が多い。

先日、秋田芸術劇場「ミルハス」で見た3時間超のビゼー作『カルメン』も例外ではない。男たらし、悪女といっていいか難しいところだが、恋焦がれるドン・ホセへ「私はジプシー、自由に生き、自由に死ぬの。誰も私を縛ることはできない」と熱唱するカルメンに共感を覚える殿方は、苦労はしても女性は悪女がいいということであろうか。

その点、ブロードウエイで見たユルブリンナー演じる『王様と私』などミュージカルはハピーエンドが多い。メッセージ性の強い『サウンドオブミュージック』も締めは大団円である。チャイコフスキーのバレエ『白鳥の湖』も悲劇を装いながらオペラと違い涙腺が緩む人は多分いない。「21世紀バレエ団」を率いたモーリス・ベジャールは2007年に80歳で死んだ。彼が振り付けたラベルの『ボレロ』をジョルジュ・ドンが踊るクロード・ルルーシュ監督の映画『愛と哀しみのボレロ』に衝撃を受け私はその振りを真似た。1992年に亡くなった彼を私は「ドン様」と呼んでいたくらいである。

昨年のミルハスは著名演奏家で目白押しだった。盲目のピアニスト辻井伸行、不死身のフジコヘミング、スロバキアフィル、NDRエルプフィルと反田恭平のピアノ等々。年末の小山実稚恵のピアノと秋田で人気のロックバンド「鴉」は同日の入場券を私はダブって買ってしまった。午後6時半開演の小山さんを大ホールで聴き、7時半からの幕間に妻娘がいる中ホールへ走って鴉を20分、大ホールへ戻り小山さんを終了まで聴き、8時半から9時まで鴉と、クラシックピアノと強烈ロックを交互に楽しみ、贅沢な時間を過ごしたと自画自賛したら娘は「発達障害にはかなわない」という。

落ち着きなく着想即実行、整理整頓が苦手な私の発達障害ADHD傾向に家族は閉口している。私たちサンバチームが15年前から続けているパレードとステージを昨夏、娘の舅姑が遠方から見に来た。「テニスにスキーに山にジム…医師会報、マリマリの輝きの処方箋、祭りに自治会長でしょ。お歳を考えると…」と驚く舅姑に娘はその時も「ただのビョーキです」と説明していた。

だが私はブロニーウエアの『死ぬ瞬間の5つの後悔』の2つ「仕事をしすぎた」と「友との時間をもっと大切にしたかった」に忸怩たる思いである。昨年は同年の友人や従弟を5人失った。そろそろ老いの流れに身を任せ…と行きたいが落ち着かない。発達障害傾向の人の老後は退屈と無縁というが、自己コントロールは今なお難しく、動けるうちは贅沢で傍迷惑な時間を生きるしかない。〈2024/1/30〉

雪の横手球場(2月15、16日にかまくらが始まる)

カルメン(関西二期会公演・手前のオケピッチで声援を送る楽団員たち)

小山実稚恵と鴉のポスター

城崎温泉に集まった学生寮仲間(23年11月)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。