アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.132

真冬に狂う ~秋田県南の小正月行事~

 大覚野(だいかくの)峠。中里介山の小説『大菩薩峠』の響きに似てかっこいい。一時存続が危ぶまれた「秋田100㌖チャレンジマラソン大会」は、仙北市角館から北秋田市鷹巣まで、これも存続が危ぶまれる秋田内陸線とほぼ並行して走る鉄人競技である。角館を発ち西木へ30㌖走ると標高582m、道のり15㎞の大覚野峠が走者を待つ。ここを越えてやっと中間地点50㌖が北秋田市阿仁。大覚野峠は秋田県を地理的にも文化的にも南北に分かつ。

 峠の北側、マタギで有名な阿仁の病院に勤務していた昭和の末頃、「俺たちは昔、峠の向こう(南側)に憧れたものだ」と話す老人にお目にかかった。阿仁は江戸時代に鉱山で繁栄し平賀源内が技術指導に招かれもしたが、米もあまり取れない山岳地帯で何度も飢饉に見舞われた。一方の南側、横手盆地を中心とする角館から湯沢に至る広大な平野は米に恵まれ、ヤマセに悩む東の岩手から飢えた人々が命がけで和賀山塊を越えてきたという。「仙北が豊かな証拠は冬の祭りだ」とも老人は語っていた。祭りとは冬の小正月行事をさす。

 その小正月行事の一つ、大覚野峠の真南、作家の西木正明が生まれた西木の「上桧木内の紙風船上げ」は2月10日である。平賀源内が佐竹北家の角館から阿仁鉱山へ向かう途次、熱気球を住民に伝授して始まったという。午後6時。幅3㍍、高さ6㍍の紙風船数個が夜空にゆらゆら舞う。材料は業務用和紙。ガス火で暖気が送られ膨らむと灯油を浸した下部の布玉に点火する。美人画や「祝古希」「五穀豊穣」「みんなの実家・門脇家」など図像が映え、放つと勢いよく上昇してゆく。途中ひっくり返ってしぼみ、布玉の火が燃え移り墜落炎上する風船もあり、冬でないと危ない。

 2月15日、角館の南35㌖の横手へ「かまくら」見物に出かけた。市内各所に高さ3㍍超まで積み上げた雪に「プロの職人」が穴をうがち水神様の神棚を設けミカンなどお供えをする。かまくらの中で子らは「おざってたんせ」と雅な言葉で客を招き甘酒を振る舞い、「オー、ファンタステック!」などと異人客らを喜ばす。ライトアップされた横手城の広場にもかまくらは並ぶ。近くの「蛇の埼川原」に300人のボランティアが350㍍にわたって3500個作って灯をともす「ミニかまくら」も圧巻である。

2月10日の「紙風船」から「刈和野の大綱引き」と「大曲の綱引き」で狂奔し、角館の「火振り」は9月の曳山より、大曲の「ぼんでん(梵天)川渡り」は夏の全国花火競技会よりは大人しいものの、六郷のかまくら「竹打ち」で竹竿を叩き合う人々に異人客は「オー、クレージー!」と喜ぶ。画家の藤田嗣治は裏日本を巡る旅で「横手から大曲で乗り換え角館に冬の日を送った時が思い出に深い」と述べているが、湯沢、横手から角館、西木に至る南北35㎞で真冬の1週間、春の農作業を前に人々は魔物に憑かれる。といった話を肴に横手のレストラン『とぶ』で娘の舅姑と飲んだ湯沢の酒、両関『花邑』が実に美味だった。〈2025.3.8〉

阿仁スキー場のモンスターたち(樹氷)

上桧木内の紙風船上げ

夜空に舞う紙風船は平賀源内が伝授したとされる

角館の曳山祭り(9月)

大曲のぼんでん川渡り

横手城とかまくら

「おざってたんせ」と客に声をかけている

横手川の「蛇の埼川原」のミニかまくら

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。