アートセンターサカモト 
栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.134

立つこと ~夕暮れ時に音楽を~

今年も秋田潟上国際音楽祭主催者「佐市」が8月1日夕刻、地元大久保のパティオを会場に夕暮れコンサートを開いた。拙宅から徒歩10分弱。瀟洒な建物は赤土のコルドバなど南スペイン風でイスラムのにおいがする。中庭の観葉植物も美しい。パリ留学が長かった彼はプーランクやラヴェル、サティのピアノ曲を軽やかなタッチで弾いた。自作の組曲『パリ』は妻の小澤叶恵さんのピアノ伴奏でピアニカを、まるでタンゴのバンドネオンのように鳴らす。パン屋(バゲット)の店先、モンマルトルのカフェ、リュクサンブール公園、セーヌ河畔のブキニスト(古本屋)などに郷愁を誘われ、久々にパリを堪能。

司馬遼太郎の街道をゆく『南蛮の道』に1973年頃のカルチェラタンの学生酒場が描かれている。「軒下まで学生がはみ出していて、店内の客は満員電車の中のように鮨詰めで立っており、たれ一人座席に座っていない」。今から50年前、ほぼ同時期に私もパリにいた。酒場のテーブル席はチャージがつき料金が立ち飲みの2倍となる。だから若者が集まる店は立ち飲み客ばかりで彼らはずっと立ったままだった。やがてどっと歓声が上がる。酔っぱらった誰かがぶっ倒れたのだ。めげずに賑わいは続き、また誰かがぶっ倒れる。カフェのテラス席では山盛りのムール貝を囲んでのんびり飲む若者たちもいたが、酒場はやはり立ち飲みが多い。フランスではとにかく立って飲むのが当たり前の印象だった。

そのフランスにユマニチュードという介護技法がある。要介護の人に人間らしさを取り戻すために、見つめる、話しかける、触れる、立つが基本で、わが国の歩かせる、車いすを使う、とはちょっと違う。自宅や施設で座ったり横になったりの人には私も立つことを勧める。何かに寄りかかってもいいから窓辺に立って外の景色を眺めよう。運動嫌いの人にもお勧めだ。立つことは筋肉の強化にもなる。

下から上へと咲くタチアオイが終わり猛暑の夏空に満開のヒマワリが立つ。私は弟が初めて立った日の光景をはっきり覚えている。なぜか爆笑して止まらなかった。幼児は立ったが最後、動けなくなる日まで常に転倒の危険と隣り合わせだ。私も学生時代、学園祭の立ち飲みでぶっ倒れたことがあった。老いてなお「光の都パリを奏でて」を聴きながらワイン立ち飲みのわが人生。セラヴィ! 2025/8/31

大潟村のひまわり

マタギの里のタチアオイ(北秋田市阿仁)

横手送り盆の屋形舟は重さ700㎏前後で角館の曳山5トンより引き回しが軽快な分だけ危険な面もある(8月16日)

入道崎の夕日(男鹿半島)

屋根のトトロは25年間立ち続け(ハートインクリニック)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。