今年も秋田潟上国際音楽祭主催者「佐市」が8月1日夕刻、地元大久保のパティオを会場に夕暮れコンサートを開いた。拙宅から徒歩10分弱。瀟洒な建物は赤土のコルドバなど南スペイン風でイスラムのにおいがする。中庭の観葉植物も美しい。パリ留学が長かった彼はプーランクやラヴェル、サティのピアノ曲を軽やかなタッチで弾いた。自作の組曲『パリ』は妻の小澤叶恵さんのピアノ伴奏でピアニカを、まるでタンゴのバンドネオンのように鳴らす。パン屋(バゲット)の店先、モンマルトルのカフェ、リュクサンブール公園、セーヌ河畔のブキニスト(古本屋)などに郷愁を誘われ、久々にパリを堪能。
司馬遼太郎の街道をゆく『南蛮の道』に1973年頃のカルチェラタンの学生酒場が描かれている。「軒下まで学生がはみ出していて、店内の客は満員電車の中のように鮨詰めで立っており、たれ一人座席に座っていない」。今から50年前、ほぼ同時期に私もパリにいた。酒場のテーブル席はチャージがつき料金が立ち飲みの2倍となる。だから若者が集まる店は立ち飲み客ばかりで彼らはずっと立ったままだった。やがてどっと歓声が上がる。酔っぱらった誰かがぶっ倒れたのだ。めげずに賑わいは続き、また誰かがぶっ倒れる。カフェのテラス席では山盛りのムール貝を囲んでのんびり飲む若者たちもいたが、酒場はやはり立ち飲みが多い。フランスではとにかく立って飲むのが当たり前の印象だった。
そのフランスにユマニチュードという介護技法がある。要介護の人に人間らしさを取り戻すために、見つめる、話しかける、触れる、立つが基本で、わが国の歩かせる、車いすを使う、とはちょっと違う。自宅や施設で座ったり横になったりの人には私も立つことを勧める。何かに寄りかかってもいいから窓辺に立って外の景色を眺めよう。運動嫌いの人にもお勧めだ。立つことは筋肉の強化にもなる。
下から上へと咲くタチアオイが終わり猛暑の夏空に満開のヒマワリが立つ。私は弟が初めて立った日の光景をはっきり覚えている。なぜか爆笑して止まらなかった。幼児は立ったが最後、動けなくなる日まで常に転倒の危険と隣り合わせだ。私も学生時代、学園祭の立ち飲みでぶっ倒れたことがあった。老いてなお「光の都パリを奏でて」を聴きながらワイン立ち飲みのわが人生。セラヴィ! 2025/8/31

大潟村のひまわり

マタギの里のタチアオイ(北秋田市阿仁)

横手送り盆の屋形舟は重さ700㎏前後で角館の曳山5トンより引き回しが軽快な分だけ危険な面もある(8月16日)

入道崎の夕日(男鹿半島)

屋根のトトロは25年間立ち続け(ハートインクリニック)