自治医大の学生だったある日、大講堂の外科授業で手術の録画ビデオが流されていた。学友らのざわめきに目覚めると森岡恭彦教授は「もう一度見せます。どこがおかしいかな?」とおっしゃる。私も座席近くの大型ブラウン管テレビに目を凝らした。すい臓の手術で、結紮した部位と逆の所にメスが入って出血している。「単純ミスですね。めったにありません」と教授は語り、「諸君は手術の成功例ばかり見ているでしょうが、ミスの方が居眠り学生にも記憶に残りますね」と結ばれた。若い頃パリ大学に公費留学された先生は後に日本人最初のフランス外科アカデミー会員となられた。米国帰りの外科医は手際が素早い、フランス外科はゆっくりだが確実な傾向があるとも語られた。
ある日の早朝カンファレンスで若い医師が虫垂炎の手術報告を行った。ところが彼は、「この患者は東大で虫垂をオペしていました。東大のカルテで確認したので間違いありません」という。東大卒が多い部屋は沈黙。1度目の手術に関わった他の医師もいたかもしれない。森岡教授は「虫垂が2つある人もいるのでしょう」と苦笑いしそれ以上は追及せず、先のすい臓のケースと同様、「患者家族には正直な説明を」と結ばれた。狐につままれたような私たち学生は医療の不思議さを思ったものである。
私は若い頃消化器内科医だった。ある病院で大腸の内視鏡検査中、突然大腸の外側、腹腔が見えたのでびっくり。腸管の壁を破った事故である。検査は中止。患者は痛みもなく「もう終わりましたか?」と喜んだがそれどころではない。すぐ外科の副院長室へ。レントゲン写真の齧ったリンゴのような大腸がん所見を示した。副院長は頷き「費用は病院持ちですぐ手術だ。患者家族には私がうまく説明する。君は黙っていろ」とおっしゃる。その刹那、森岡先生の顔が目に浮かんだ。副院長の助言を断って私は病室で患者と家族に事態を説明し謝罪して術場へ。開腹した患者の大腸、齧ったリンゴ付近には古いガーゼがへばりついていた。これががんの兆候に見えたのである。以前の手術のことはさておき、患者からは「ただで手術してもらってありがたいことです」と退院時にビール1ケースを頂いてしまい、外科医らと医局でモツ鍋を肴に一杯やった。
森岡先生は、中尾喜久学長のスタッフの一員として1972年の自治医大建学に尽力、1981年に母校東大へ戻られ、病院長時代の1987(昭和62)年に昭和天皇執刀医、日本医師会「医の倫理綱領」作成担当副会長になど著名な方だった。先生の口癖は、患者とは弱いものだから親切に、一度ウソをつくと上塗りが必要になるからミスを隠してはいけない、常に正直であれ…。昨年12月17日に先生は95歳で亡くなられた。病院では看護婦を敵に回すな、でないとヤブ医扱いされる、などなど他にも様々なお言葉を賜ったが、どうも教訓に背いてばかりのよう気がして私は葬儀場のご遺影に深々と頭(こうべ)を垂れた。(2026-2-23)
森岡恭彦先生(2025年3月)
上桧木内紙風船
(2026年2月10日・秋田県仙北町)
紙風船 泥まみれでも 俺は飛ぶ 上桧木内 お前の空へ
(昨年8月の大洪水で会場に保管していた材料の和紙が多数失われた)
樹氷モンスター(2026年2月21日 阿仁・森吉山)
輝きの処方せん 26年2月号

