アートセンターサカモト 
栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.137

関係ねえ ~恩師のセ・ラ・ヴィ~

「関係ねえ」が決め台詞の裸芸人もいるが、森岡恭彦先生が若い頃「関係ねえ」と部下の医師を励ました逸話がある。2015年3月、栃木県下野市の自治医大に近い書店社長宅で耳にした。先生は85歳だった。

その日は恩師3名と卒業生8名、他で計14名が集まった。毎年3月、この会では私の同級生の1人が恩師の大好きな手打ち蕎麦を披露する。春野菜の天ぷら、福井のブリ、秋田の酒が定番だ。酔いが回り、前年暮に私が半焼け豚肝が原因のE型肝炎でGOT、GPTが3千超と黄疸で入院した話になった。そしたら「僕も若いころ」と、我々1期生より少し年長の前外科教授が身を乗り出す。「リザベン(抗アレルギー剤)の薬剤性肝炎で4千を超えてね」と言い、「あ、思い出した」と次のような話を始めた。

当時東大第1外科の助手だった彼も黄疸で入院した。肝機能は1か月でだいぶ改善したが、GOT、GPTがなかなか100を切れない。だが自覚症状もなく退院し復職。酒酒して仕事に励んでいたある日、森岡教授が「飲もう」と言う。「まだ3桁です」と応じたら教授は、「関係ねえ。少し飲んだ方が肝血流量も増えて肝臓にいいんだよ」と医局にあったビールをコップに注ぐ。上司である教授のご命令だ。やむなく2か月ぶりに飲んだ。そして翌週、念のために肝機能を検査したところ、あ~ら不思議、GOT・GPTが一気に30台!

ウソでしょとみなびっくり。「関係ねえと言われたときは、こんなお医者さんがいるのかってさすがに驚きましたよ。しかも教授です。逆らえないし」…一同大爆笑。

「あのね」と蕎麦をすすりながら森岡先生は真顔でおっしゃる。「みなさんは少し肝臓が悪いと酒はダメっていうけどね、ちょっとだけならいいこともあるんだよ。映画なんかで酒を気付け薬に使うのと同じで、肝細胞にも気合いが入るんだから」

ひと笑いしたところで先生より4歳下の元助教授が「実は僕もリザベンで黄疸やってね、やっぱり4千くらい」という。すると佐賀出身の同級生も黄疸の経験を語り、愛知の後輩まで私もと。呆れた私が「黄疸経験のない人は手を挙げて下さい」と声を上げたら14名中「関係ねえ」の恩師を入れ半数の7 名が挙手した。マジ!?

詩人で随筆家、テレビやラジオで活躍し友人でもある患者にこの話をした。「先生はホントにいい恩師を持っている」と彼は言い、「厳しい指導ばかりする他の医者と先生が少し違う理由が分かった。俺は森岡先生みたいなお医者さんがいい」としきりに感心する。だが彼の糖尿病の検査値が改善しても彼の奥様は「患者と医者が企んで私にウソをついている」と信じてくれない。

森岡先生の著書『手術室からセ・ラ・ヴィ』(講談社1994年)には昭和天皇執刀の経緯から締まらない落第生の話まで「人間万事セ・ラ・ヴィ~それが人生」といった意味深な話題が満載である。若き日パリに学んだ江戸っ子恩師の「関係ねえ」は、べらんめえ風C’est la vieだったかもしれない。信州信濃の新蕎麦よりもわたしゃあなたのそば(側)がいいなんてねとズズッとやっておられた先生が目に浮かぶ。26/3/12

蕎麦が大好きだった森岡先生

「関係ねえ」といわれた先生

3 森吉山の冬景色(今年2月の秋田)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。