「関係ねえ」が決め台詞の裸芸人もいるが、森岡恭彦先生が若い頃「関係ねえ」と部下の医師を励ました逸話がある。2015年3月、栃木県下野市の自治医大に近い書店社長宅で耳にした。先生は85歳だった。
その日は恩師3名と卒業生8名、他で計14名が集まった。毎年3月、この会では私の同級生の1人が恩師の大好きな手打ち蕎麦を披露する。春野菜の天ぷら、福井のブリ、秋田の酒が定番だ。酔いが回り、前年暮に私が半焼け豚肝が原因のE型肝炎でGOT、GPTが3千超と黄疸で入院した話になった。そしたら「僕も若いころ」と、我々1期生より少し年長の前外科教授が身を乗り出す。「リザベン(抗アレルギー剤)の薬剤性肝炎で4千を超えてね」と言い、「あ、思い出した」と次のような話を始めた。
当時東大第1外科の助手だった彼も黄疸で入院した。肝機能は1か月でだいぶ改善したが、GOT、GPTがなかなか100を切れない。だが自覚症状もなく退院し復職。酒酒して仕事に励んでいたある日、森岡教授が「飲もう」と言う。「まだ3桁です」と応じたら教授は、「関係ねえ。少し飲んだ方が肝血流量も増えて肝臓にいいんだよ」と医局にあったビールをコップに注ぐ。上司である教授のご命令だ。やむなく2か月ぶりに飲んだ。そして翌週、念のために肝機能を検査したところ、あ~ら不思議、GOT・GPTが一気に30台!
ウソでしょとみなびっくり。「関係ねえと言われたときは、こんなお医者さんがいるのかってさすがに驚きましたよ。しかも教授です。逆らえないし」…一同大爆笑。
「あのね」と蕎麦をすすりながら森岡先生は真顔でおっしゃる。「みなさんは少し肝臓が悪いと酒はダメっていうけどね、ちょっとだけならいいこともあるんだよ。映画なんかで酒を気付け薬に使うのと同じで、肝細胞にも気合いが入るんだから」
ひと笑いしたところで先生より4歳下の元助教授が「実は僕もリザベンで黄疸やってね、やっぱり4千くらい」という。すると佐賀出身の同級生も黄疸の経験を語り、愛知の後輩まで私もと。呆れた私が「黄疸経験のない人は手を挙げて下さい」と声を上げたら14名中「関係ねえ」の恩師を入れ半数の7 名が挙手した。マジ!?
詩人で随筆家、テレビやラジオで活躍し友人でもある患者にこの話をした。「先生はホントにいい恩師を持っている」と彼は言い、「厳しい指導ばかりする他の医者と先生が少し違う理由が分かった。俺は森岡先生みたいなお医者さんがいい」としきりに感心する。だが彼の糖尿病の検査値が改善しても彼の奥様は「患者と医者が企んで私にウソをついている」と信じてくれない。
森岡先生の著書『手術室からセ・ラ・ヴィ』(講談社1994年)には昭和天皇執刀の経緯から締まらない落第生の話まで「人間万事セ・ラ・ヴィ~それが人生」といった意味深な話題が満載である。若き日パリに学んだ江戸っ子恩師の「関係ねえ」は、べらんめえ風C’est la vieだったかもしれない。信州信濃の新蕎麦よりもわたしゃあなたのそば(側)がいいなんてねとズズッとやっておられた先生が目に浮かぶ。26/3/12
蕎麦が大好きだった森岡先生
「関係ねえ」といわれた先生
3 森吉山の冬景色(今年2月の秋田)

