観光客を呼び込もと秋田県はキャッチコピー「あきたびじょん」を掲げ、県内外に様々なポスターを配布している。中でも評判なのが写真家・木村伊兵衛の作品「秋田おばこ」をアレンジしたポスター。品川駅など山手線駅構内に張り付け、超拡大したポスターで銀座サッポロビルを覆ってしまった。
木村作品のモデルは、全国花火競技大会で有名な大曲の女性である。1952年に彼女を最初に撮影した大野源二郎氏88歳の個展が11月に大曲で開かれた。目元がきりりと引き締まった、いかにも勝気そうな美女だ。当時のカメラ雑誌に載ったこの写真に魅了された木村は、翌53年に大曲を訪れ彼女を撮影した。原作をアレンジしたデザイナーのセンスも光る。
秋田美人と言えば万葉の歌人小野小町。秋田では美人が多いとされる県南の仙北、雄勝地方を小町の古里とするのが通説だ。幸運にも私はこの地域の数病院に長らく勤務した。確かに顔かたちが美しい色白の女性が多く、言葉遣いも穏やかで、「日本海側は人心が荒っぽくて馴染まない」と秋田市内の病院から生まれ故郷大曲の病院に移った友人もいるくらいである。
NHKが昭和56年ごろ、秋田美人の秘密を探るといった内容の番組を放送した。一緒に働いていた田沢湖病院の看護婦2名が登場し、彼女らの肌は他県の女性に比べ非常にきめ細かいという結果だった。自治医大の学生時代、茨城の同級生が、関ヶ原の戦いに敗れた佐竹氏が茨城から秋田へ転封となった際、美人をみな連れて行った、茨城に美人が少ないのはそのせいだと怒っていたが、どうも八つ当たりらしい。
関ヶ原から400年。秋田の若者はここ100年ほど都会へ流出し続けている。それでも秋田に美人が多いのは、県外からのDNA流入も少なく、混血も進まず、「美人遺伝子」が温存された、いわばガラパゴス化現象かもしれない。いずれにせよ美人の畑には種が必要だ。男おばこたちよ、胸を張って秋田ビジンと県活性化ビジョンに寄与しようではないか!
秋田びじょん 木村伊兵衛原作
大野氏の秋田おばこ
大曲花火-花火師たちの大競技会