アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.27

見花で花見 ~夫婦のカタチ~

酔うと暴れ焼きもちがひどかった亭主が、とにかく死んでくれてほっとしたご婦人。「1周忌まで悲しいふりをするのに苦労した。先月3回忌を済ませ、やっと3月末のカラオケ大会に出たら楽しくて、大笑いして腹の皮がよじれた。会場が寒すぎて客の2割は途中で帰ったけど」とニコニコ。

同じ日、私は靖国神社で花見をした。靖国で会おうと中学同窓から不吉なメールが届き、粉雪舞う秋田からのこのこ出かけた。ところがどっこい、東京も寒い。それでも毎日サンディの定年組12名は、私が長男に下宿から背負わせてきた秋田の酒で震えながら乾杯、よく飲んだ。笑うとキラー細胞が活性化、がんを防ぐというが、飾らない幼馴染みの酒は肝臓に悪い。

神社正門前で「見花商店」を経営するヨモという的屋がいる。店名は花見の逆さ読み。彼は田舎では有名な温泉宿の子で、そのくせ風呂は盆暮の年2回だけ、勉強も嫌いだった。中卒後、集団就職で上京、いつの間にか柴又の寅さんみたいになり、7年前の同窓会では、「大きな声では言えないけど、小さな声だと聞こえないから」と声を励まし、「嫁さんは再婚。息子を連れて俺と一緒になってくれた。頭のいい子で、私大を出て医者になった」と皆を驚かせた。

的屋をしながら息子を医師にした彼も偉いが、奥さんも凄い。2年前、上野公園で弁当を売っていた夫婦に偶然出くわした時、彼女は初対面の私にすっと缶ビールを差し出した。今回もサービス満点で、進級が危うかった私の長男がたまたま息子の大学後輩とわかると、「2年生から3年に上がる時が一番大変。要注意!」と気合を入れて下さる。「落第して親に苦労をかけた父親を真似ちゃダメよ」とヨモまで図に乗りやがる。

生前仲の良かった夫婦は、一方が死ぬと残された方はつらく、不仲だった場合は解放されるという。6時間も我々の面倒を見てくれたヨモ夫婦は、冒頭の夫婦と違ってたぶん前者。花は桜木、人は酔っ払い。来年も靖国で会おうと解散した、心温まる花見だった。

馬場から靖国まで酒を歩いてを運んだ兄妹

靖国の酒瓶たち

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。