酔うと暴れ焼きもちがひどかった亭主が、とにかく死んでくれてほっとしたご婦人。「1周忌まで悲しいふりをするのに苦労した。先月3回忌を済ませ、やっと3月末のカラオケ大会に出たら楽しくて、大笑いして腹の皮がよじれた。会場が寒すぎて客の2割は途中で帰ったけど」とニコニコ。
同じ日、私は靖国神社で花見をした。靖国で会おうと中学同窓から不吉なメールが届き、粉雪舞う秋田からのこのこ出かけた。ところがどっこい、東京も寒い。それでも毎日サンディの定年組12名は、私が長男に下宿から背負わせてきた秋田の酒で震えながら乾杯、よく飲んだ。笑うとキラー細胞が活性化、がんを防ぐというが、飾らない幼馴染みの酒は肝臓に悪い。
神社正門前で「見花商店」を経営するヨモという的屋がいる。店名は花見の逆さ読み。彼は田舎では有名な温泉宿の子で、そのくせ風呂は盆暮の年2回だけ、勉強も嫌いだった。中卒後、集団就職で上京、いつの間にか柴又の寅さんみたいになり、7年前の同窓会では、「大きな声では言えないけど、小さな声だと聞こえないから」と声を励まし、「嫁さんは再婚。息子を連れて俺と一緒になってくれた。頭のいい子で、私大を出て医者になった」と皆を驚かせた。
的屋をしながら息子を医師にした彼も偉いが、奥さんも凄い。2年前、上野公園で弁当を売っていた夫婦に偶然出くわした時、彼女は初対面の私にすっと缶ビールを差し出した。今回もサービス満点で、進級が危うかった私の長男がたまたま息子の大学後輩とわかると、「2年生から3年に上がる時が一番大変。要注意!」と気合を入れて下さる。「落第して親に苦労をかけた父親を真似ちゃダメよ」とヨモまで図に乗りやがる。
生前仲の良かった夫婦は、一方が死ぬと残された方はつらく、不仲だった場合は解放されるという。6時間も我々の面倒を見てくれたヨモ夫婦は、冒頭の夫婦と違ってたぶん前者。花は桜木、人は酔っ払い。来年も靖国で会おうと解散した、心温まる花見だった。
馬場から靖国まで酒を歩いてを運んだ兄妹
靖国の酒瓶たち