アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.8

うどんの話 ~うまい物を食って飲んで~

金は賄賂になるが、うどんは賄賂にならない―。こんなことを言いながら本業の傍らせっせとうどんを作っては各方面に贈る書店の社長がいる。なぜうどんが賄賂にならないのかと尋ねると、税務署が目をつけるはずがない、食ってしまえば証拠が残らない、差し上げるのも一人4食分で負担も少ない、おまけに美味しいから皆様が喜ぶと笑う。なるほどと頷きながら私も時々お相伴にあずかる。

人間、うまいものを食わせて飲ませておけば大概、文句は出ない、運が良ければ話もスムーズに進むとおっしゃる恩師がいる。確かに何事も交渉の席で侃々諤々やるより会食の方が話は速い。

私が所属する当地の異業種交流会では、いつのころからか定例会は公民館で30分、懇親会は行きつけの焼肉屋で3時間といった塩梅で、重要案件のほとんどは焼肉屋で決まる。一杯機嫌なので迷案珍案が飛び交い、毎度1人ほぼ2千円通しだ。

冒頭の社長、実は先代が遺した膨大な負債で苦労した。借金を法的に棒引きするのは、あくどい銀行はさておき、個人債権者に対しては申し訳ないからと踏ん張り、金を返すまでの間、せめてうどんをと始めたのだった。食い物の恨みは怖いというが、金の負い目を食い物で和らげるやり方は悪くない。

彼を励ますために私たちは時々ガバナンス会議を開く。うどんをすすりながら一杯やっていると議案もとんとん拍子で、こんなシャンシャン会議で経営は本当に大丈夫かと心配なさる件の恩師も、うどんすきには頬を緩ませる。うどん、おそるべし。

社長のうどん

総会

みんなで

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。