アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「精神科医のニア・ミス」No.88

親離れ子離れの季節 ~恩師と息子~

3月に高校を卒業し、4月から働き出した1人娘の母親が、「娘が就職したのは嬉しいはずなのに、ちょっと複雑。もう親の役目は終わったのかな」と元気がない。彼女は長引くうつ病のため2年前に仕事をやめた。子供が幼い頃に離婚し、養育費も貰えず、実家で肩身の狭い思いをしながら暮らしている。晴れがましい娘に比べ、無職の自分は取り残された感じ、このままではいけないと焦る。「困難にめげず娘さんを学校に入れて、ここまで育ててきた。娘さんも自分の意志で進路を決めた。あなたは立派です」というと彼女は涙ぐんだ。

私の長男も4月から埼玉県の病院で勤務を始めている。3月末、卒業式のために上京した。その折、私が学生時代からずっとお世話になっている代々木の恩師宅に息子を連れて挨拶に伺った。息子は先生と一緒に秋田駒ケ岳に登ったこともある。お宅の向かいに合格祈願で有名な平田篤胤神社があり、先生は、「日本国が医師としての資格を認めたのだから、めでたい」と私たちを誘ってお礼参りし、それから近所の寿司屋へ案内して下さった。

88才の先生と25才の息子が肩を並べて歩いている。私の方は親の教えで「三尺下がって師の影を踏まず」の意識が強く、どこか遠慮してしまう。10年前に温泉で先生の背中を流した時も、これは図々しいのではあるまいかと不安になったくらいだ。

店に入ってもカウンターで先生は孫に語りかけるように息子にあれこれ話して下さった。男と女の関係は厄介で、職場で微妙なことになると大概、女の方が騙された風なことを口にし、しかもこういうことは証拠がないからどんなに弁明しても男が不利になるとか、病院では看護婦、特に婦長を敵に回すといくらまじめに働いても藪医者扱いされるとか、過去の部下たちの例を挙げ、息子はかしこまって頷いている。私は苦笑するしかない。

自分で働いて食っていく息子は、今後「一医一責任」といって、上司、同僚を問わず誰からアドバイスを受けても、自分で手を下す医療行為の責任は全て自分で負わなければならない。資格は親と対等だ。仕送りが終わった安堵、親の役目は終わったとつぶやいた患者の言葉…秋田も桜が散って親離れ、子離れの季節が始まった。

真人(マト)公園(横手市)

真人公園の花筏

おしら様のしだれ桜(湯沢市)

桧内川(角館)

武家屋敷のしだれ桜(角館)

桜の絨緞(角館)

*写真:佐々木かなえ(千葉克介写真教室)

尾根白弾峰

尾根白弾峰(佐々木 康雄)

旧・大内町出身 本荘高校卒

1980年 自治医大卒

秋田大学付属病院第一内科(消化器内科)

湖東総合病院、秋田大学精神科、阿仁町立病院内科、公立角館病院精神科、市立大曲病院精神科、杉山病院(旧・昭和町)精神科、藤原記念病院内科 勤務

平成12年4月 ハートインクリニック開業(精神科・内科)

平成16年~20年度 大久保小学校、羽城中学校PTA会長

プロフィール

1972年、第1期生として自治医科大学に入学。長い低空飛行の進級も同期生が卒業した78年、ついに落第。と同時に大学に無断で4月のパリへ。だが程なく国際血液学会に渡仏された当時の学長と学部長にモンパルナスのレストランで説教され取り乱し、パスポートと帰国チケットの盗難にあい、なぜか米国経由で帰国したのは8月だった。

ところが今の随想舎のO氏やビオス社のS氏らの誘いで79年、宇都宮でライブハウス仮面館の経営を始めた。20名を越える学生運動くずれの集団がいわば「株主」で、何事を決めるにも現政権のように面倒臭かった。愉快な日々に卒業はまた延びる。

80年8月1日、卒業証書1枚持たされ大学所払い。退学にならなかったのは1期生のために諸規則が未整備だったことと、母校の校歌作詞者であったためかもしれない。

81年帰郷、秋田大学付属病院で内科研修を経てへき地へ。間隙を縫って座員40名から成る劇団「手形界隈」を創設、華々しく公演。これが県の逆鱗に触れ最奥地の病院へ飛ばされ劇団は崩壊、座長一人でドサ回り…。

93年に自治医大の義務年限12年を修了(在学期間の1倍半。普通9年)。2000年4月、母校地下にあった「アートインホスピタル」に由来した名称の心療内科「ハートインクリニック」開業。廃業後のカフェ転用に備え待合室をギャラリー化した。

地元の路上ミュージカルで数年脚本演出、PTA会長、町内会や神社の役員など本業退避的な諸活動を続けて今日に至る。

主な著作は、何もない。秋田魁新報社のフリーペーパー・マリマリに2008年から月1回のエッセイ「輝きの処方箋」連載や種々雑文、平成8年から地元医師会の会報編集長などで妖しい事柄を書き散らしている。

医者の不養生対策に週1、2回秋田山王テニス倶楽部で汗を流し、冬はたまにスキー。このまま一生を終わるのかと忸怩たる思いに浸っていたらビオス社から妙な依頼あり、拒絶能力は元来低く…これも自業自得か。