アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「伝統と文化―下野手仕事会―」No.35

樋口喜巳 -線香-

理想の香りを求めて

樋口喜巳(ひぐち よしみ)さんは、今から50年ほど前の1973年(昭和48年)、線香製造の老舗「株式会社一心堂」で線香づくりを始める。工場長も務めたが、2016年(平成28年)に一心堂が火災により廃業。翌年、線香職人として独立。現在、栃木県産の線香とお香を専門に扱う「蘭と月」で商品の開発・製造を行っている。線香、お香づくりのこだわりや魅力、一心堂の廃業後、再び線香づくりを始めたきっかけについて話を伺った。

樋口喜巳さん

理想を求め積み重ねた年月

たまたまアルバイトで一心堂に入ったのがきっかけで線香づくりを始めました。それがずっと続いて今に至っています。初めは雑用から入りましたが、雑用なりに面白いことがあったので続けていました。手仕事は楽しかったです。機械も使いますが、細かいところは自分の感覚。例えばこねている時の感じが理想のものにならないから、次はこうしようという課題が毎回出てくる。それらが積み重なり、長い時間を経てここまで来ました。

線香もお香も基本材料は同じです。お香が線状になったものが線香です。お客様から提案された香りを、自分なりのイメージで材料を配合して作ります。それを粉状にし、線香の基本的な素材であるタブ粉(タブノキの皮を粉状にしたもの)をつなぎに入れます。物によってはつなぎが足りないこともあるので、そういう場合は糊剤も使います。その後、機械を使って成型し、乾燥させて長さや形をそろえて箱詰めします。

お香や線香作りの面白さは、自分が想像できない香りができること。それをいかにお客様の好みに、あるいは商品イメージに近づけていくかということです。

チームワークで商品開発

商品を開発する時は、はじめに私が香りのイメージを考え、スタッフに伝えます。意見を聞きながら理想の香りに近づけていき、香りが決まったら、お線香かお香にするか、どんな形にするか、全員で話し合って決めます。パッケージやお香の形は若いスタッフたちがどんどん考えてくれます。

主な材料は基本的に生薬です。白檀、沈香、桂皮などですね。生薬の配合で香りが変わりますが、私自身どの香りがどの香りを引き立てているのか、その関係はまだ曖昧にしか分かっていません。

私はよく素材の配合を舞台の役者に例えます。主役を引き立たせるためには脇役、時には悪役も必要でしょう。色々な役目の方がいます。そういう点で同じだと思っています。

お客様から提案される香りは自分なりのイメージを頼りに近づけていきます。お客様によっては“都会的な香り”など抽象的なイメージを依頼してきます。私のイメージした香りとお客様がイメージしている香りは違うことがあると思うので、いくつかの香りを試して、お客様の反応を見ながら求めている香りに近づけていく。試行錯誤の繰り返しです。一回で正解は出ません。

伝統の香りを絶やさず

一心堂の火災はもう6年前になります。その時は、60代で少し早いけれど引退なのかなと思いました。一心堂の歴史が途切れるのは本当に残念でした。日光の輪王寺さんから依頼されている線香は、何十年にも渡って一心堂が作り続けてきたものです。それを終わらせてしまうことが一番残念でした。その時、輪王寺さんや他の取引先からも「どこかでまた作ってくれ」という依頼がありました。この「蘭と月」のオーナーもその当時のお客様でした。オーナーと話をして「一緒にやっていきましょう」という事になり今に至ります。

一心堂の時代から続いている取引先があります。遠方のお客さんから「前に(一心堂で)作っていたものを作って欲しい」という依頼の電話も来ます。

一心堂の先代社長から教わった事は私の仕事のベースになっています。「手を抜かない」ということをこれからも大切にしていきたいし、蘭と月では新しいものにも挑戦し、ここでしかできないオリジナルの香りを作っていきたい。もうすでに何点かは作っているのですが、それをもっと作っていきたい。

伝統の香りを守る技、新しい香りを生み出す技を次世代に

お線香を料理にもよく例えるのですが、レストランに行って「前と味が変わったね」という事があります。それが今、一番不安に思っていることです。そうならないように、次の世代に教えていかなければとは思います。作っている環境も道具も同じはずなのに味が変わったということは、おそらく作り手が違うのでしょう。変わったというのはそういう事だと思うんですよ。人が変わると香りも変わるということをよく聞きます。

この仕事をいつまでも続けていくことはできませんから、伝統の香りを守り続ける技、新しい香りを生み出す技を次の世代に伝えていきたい。うまくつなげていかなければと思います。

それに加えて、自分が現役で仕事をしている間に、私の満足できる香りが一つでも出来たらいいなと思っています。ただ、いまはそれがどのようなものなのか、具体的には分かりません。どんな香りに巡り逢えるのか、それを見つけるのが私の夢です。

樋口喜巳(ひぐち よしみ)

樋口喜巳(ひぐち よしみ)

1953年(昭和28年) 栃木県栃木市生まれ。

1973年(昭和48年) 栃木県の線香メーカー「一心堂香舗」に就職する。

2007年(平成19年) 伝統工芸士に認定される。

2016年(平成28年) 「一心堂香舗」が隣家火災により類焼し廃業する。同年、取引先である足利市「蘭と月」の大竹麻美氏と栃木市において再び線香・香粧品の製造販売を始める。

2019年(令和元年) 栃木県、伝統工芸士再認定される。

2020年(令和 2年) 下野手仕事会に入会する。


蘭と月 栃木店

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