アートセンターサカモト 栃木文化社 BIOS編集室

「伝統と文化―下野手仕事会―」No.36

石川錦城 -絹本画-

歴史を作ってきた絹本画

石川錦城(いしかわ きんじょう)さんは、絵を描くために織られた絹「絵絹」に水干(すいひ)絵具を使用して描く、日本の伝統絵画である絹本画の作家である。1978年に岐阜県の美術工芸会社に入社し掛軸職人の基礎を身につける。その後独立し、軸絵から額装絵、屏風絵など絹絵にこだわり制作活動を続けている。今回、石川さんの絹本画との出会いと思いを伺った。

ぼかしを活かして描く

絹本画は横山大観や円山応挙、上村松園、狩野派に代表される作家たちが描いてきた日本画のジャンルの一つです。

絹は紙と違ってドーサ引き(滲み止め)など様々な規則があり扱いが大変です。

絹絵の場合は水干絵の具を使います。水彩絵の具には顔料や色止めが既に入っていますが、水干絵の具は水でといても何も入れなければすぐに色が落ちてしまうので、膠(にかわ)を入れて調合し、接着するようにしています。絵を描く際には絹をはったキャンバスに水をひいて、水干絵の具をのせてぼかしていきます。これは絹本画特有の技法です。

絹本画はぼかしの世界で、そこが魅力だと思います。薄くも濃くも描けて、遠近感を表現できます。

技法的には手描き友禅と似ているかもしれません。筆などの道具も同じで、絵の具もさらさらしているものを使用しているので似ています。布に手描きをしているという感覚が近いかもしれません。

岩絵具を使って描いていた時期もありましたが、カチッとした絵が描け、自分が求める色彩を表現できるのが絹本画でした。絵の透明感、絵の具や絹の扱いもそうですが、自分に合っていたのでしょうね。

石川錦城さん

忘れぬ思いと意地

高校生の頃は美大に進学して、デザイナーや画家になれたらと思っていました。でも美大に進学するのは環境的に難しかったので、自分がやりたいと思っている事に近いところを探していたら、岐阜に掛け軸を制作する工芸会社がありました。そこに入社して初めて絹本画に出会いました。掛け軸といえば絹本画です。

会社では、研修期間が終わると、指示された下図を、ひたすら忠実に、機械的に描いていました。その時、「錦城(きんじょう)」という雅号、名前をいただきました。この道何十年も掛け軸を描いている掛け軸職人に見えるように、それらしい名前を一人一人につけてくれました。私は今でも、あえて、この美術工芸会社でいただいた「錦城」という名前を使い続けています。美術大学で学ぶのではなく美術工芸会社の職人としてスタートしたことを忘れないためです。意地もありますね。

その時に、この「錦城(きんじょう)」という名前をもらいました。この道何十年も掛け軸を描いている掛け軸職人に見えるように、会社が名前を一人一人につけてくれました。自分の名前を売るのに私はあえて、この岐阜の美術工芸会社でもらった石川錦城という名前を使い続けています。工芸会社からスタートしたことを忘れない為と意地です。

美術工芸会社には当時、3年間掛軸の絵描き職人の基礎を学ぶことによって、独立後も会社からの注文を受けて軸絵の制作を続けることが出来る仕組みがありました。私も独立して故郷で、会社から指示された軸絵を描き始めました。会社の中で描いている時は、専務や上司などいろんな人から指示をいただいていましたが、一人で仕事をしていると、下図を忠実に再現するべきところを、好きなように描いてしまい、会社が望んでいるような絵とはかけ離れていきました。やがて会社からの仕事の依頼も亡くなりました。はっきり言ってクビになりました。

あこがれと自分の絵

そこから日展や院展に出せるような絵を描いていかなくては、と考えるようになりました。一般的に知られている日本画は岩絵です。独学で岩絵を始めましたが、絹本画とは絵の描き方や構図の構成の仕方も含め、全てが異なっていました。2、3点大作を描き上げて出品しようと準備をしていた時、これは自分の絵ではないと感じました。自分の思っていたイラストや水彩画、あこがれていた絵描きさんの絵の様でもないし、岩絵の具を使うことによって、なぜこんなにも思うようにいかなくなってしまったのだろう。そこではじめて、私は何が描きたくて絵を始めたのか考えるようになりました。当然入選しませんから、展覧会に出品するのもやめてしまいました。

それでも、田舎で絵描きは珍しく、「絵描きさんが(岐阜から)地元に戻ってきた」という話が広まり、新築祝いに掛け軸を描いて欲しいなどの注文が直接来るようになりました。何時間かけても、好きにスケッチして緻密に描いても良い、絹本画の仕事が段々とできるようになりました。

絹絵が一番大変でしたが、私には、一番合っているのだと思いました。岩絵で日展や院展に入選して絵描きとしての知名度を上げていくことよりも、地に足をつけて、自分の絵で食べていけることに喜びを感じました。

私という人間をイメージしてもらえる絵を残す

これからは、少ないながらも後世に残していける絵を描いていきたいです。せっかく縁があって絵描きを続けてこられたのですから、私自身が納得できて、私という人間をイメージしてもらえる絵を描いて行かなくてはと考えています。

いつか、床の間が無い所でも掛け軸をかける、そんな日が来ると思っています。若い人達はとても住まいの空間を使うのが上手で、気取らずに掛け軸や額装にした絹本画が飾れるような空間を作ります。絹本画をそんな風に生活空間に取り入れる時代になって来ているんですね。絹本画を長く続けているのも捨てたものじゃないなって感じます。

昔は掛け軸を量産していましたが、今は一点一点が残るものだと自分を戒めながら描いています。

石川錦城(いしかわ きんじょう)

石川錦城(いしかわ きんじょう)

1959年 栃木県下都賀郡大平町に生まれる。

1978年 岐阜県の美術工芸会社入社。

掛け軸職人の基礎を身につけ、独立後、公募展・個展・注文制作・ 額装絹本画・屏風・ふすま絵を独学で歩む。


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