アートセンターサカモト 
栃木文化社 BIOS編集室

「とっておきの一冊」No.28

『教えと学びと友情―半生の感謝―』
金彪 脳神経外科医
宇都宮脳脊髄センター 
シンフォニー病院代表
獨協医科大学脳神経外科主任教授退官記念


金氏のこれまでの歩みを、交流のあった106人の寄稿文と、それに対する返礼文で編まれた記念誌である。寄稿者の回想と金氏の言葉から、 脊髄・脊椎のエキスパートとして世界的に評価され、「スーパードクター」と呼ばれるようになる名医の半生を辿ることができる。


東京教育大学附属駒場中学校のクラスメートだった元財務省税務大学校長の浜田敏彰氏は

「洗練された大人びた様子で目立つ存在でした。 中学1年で既にモデルが着こなすような白いコートで通学していたことが強く記憶に残っています」と記す。


鮮烈な印象を残した金少年は、その後、東京大学医学部に進学する。東大在学中、医学生の神経生理学の教科書として知られている Robert F. Schmidt 著『神経生理学』の共訳者となる。


「私が初めて先生のお名前を拝見したのは今から35 年ほど前に遡ります。医学部2年生の生理学講義で使用していた教科書『神経生理学』の訳者として、 先生はすでに神経学の分野で大きな仕事をされておられました。当時日本語で書かれた生理学の教科書の中で、 基礎的事項を分かりやすく簡潔にまとめたものとして学生の間で人気を博しており、 私にとっては神経系の臨床医を志すきっかけとなった思い出の本です」(秋田県立循環器・脳脊髄センター脊髄脊椎外科部長 菅原卓氏)


「金彪教授のお名前を知るようになったのは1980年代にさかのぼります。京都での学生時代に金先生が翻訳されたシュミットの『神経生理学』に出会ったときです。 ほどなく、『金先生が東大の学生時代に翻訳された』とお聞きし、まさに晴天の霹靂とも言える強烈なインパクトを与えられたのを今も覚えています」 (京都府立医科大学大学院脳神経機能再生外科学教授 橋本直哉氏)


東大卒業後、脳神経外科医としての歩みを始める。その中で、金氏が「脳神経外科の天才、鬼才」と表現する福島孝徳氏(故人)と出会い、師事する。 同氏の推挙で、世界トップクラスの病院である米国・メイヨークリニックに留学。6年間、レジデントとして研鑽を積むとともに、同クリニックの大学院で博士課程を修了する。

中高校、大学そしてメイヨークリニックへの留学、金氏と同じ道を歩んだ岡山大学大学院医歯薬学総合研究科脳神経外科学教授の田中將太氏は

「私が住んで感じたアメリカの特性は、 移民国家で誰でもウェルカムと見せながら、外国人がひとたび社会に深く入り込もうとすると途端に排他的になるといった、二面性です。 そのアメリカに臨床留学された金先生は、アメリカ人でも難しい博士号の取得まで達成されたということで、きっと想像に絶する努力をなされた結果、 信頼を勝ち取られたのだろうと拝察し、敬服の念に堪えません」と記す。

メイヨークリニック医科大学神経学名誉教授の柳原武彦氏は「ご本人から聞いたところでは、メイヨーでの研修中、脳外科医の一人、Dr. Michael Ebersold の 脊椎・脊髄手術を見て興味をもったとのことである。当時の米国は、州あるいは病院によって脊椎・脊髄の手術を脳外科医がやるか、整形外科医がやるかが決まっていた時代で、 メイヨークリニックでは、1960年代前半まで脳外科部門長をされていたDr. J.Grafton Love が脊椎の手術を得意とされていたこともあり、 脳外科医が単独で手術をすることもあったが、多くの場合、整形外科医とチームを組んで手術をしていたように記憶している。一方、当時の日本では、 脊椎・脊髄の手術は整形外科の専門領域とされていた大学が多く、当初、金先生は脊椎・脊髄疾患の手術を脳外科ですることに壁があり、 苦労されたと思うが、金先生の実績は徐々に認識されるようになり、2013年には日本脊髄外科学会の理事長に就任された」と記す。

左から金先生、メイヨ―クリニックのヴァンフティ教授とカロリンスカ大学のシエイジョ教授


金氏の功績として寄稿者の多くが挙げるのが、脊髄外科医療の発展への寄与、整形外科との共通の脊椎脊髄外科専門医制度を実現させたことである。

東京慈恵会医科大学名誉教授の阿部俊昭氏は「脳血管障害、腫瘍、外傷の分野へ偏重していた日本の脳神経外科を、欧米型の包括的な神経外科へ変革し、 脊髄外科の占める割合を大幅に広げ、ひいては日本における脊椎脊髄外科のシェア拡大に寄与した」と記す。

金氏は2013年、日本脊髄外科学会理事長に就任し、強いリーダーシップを発揮し、整形外科との共通の脊椎脊髄外科専門医制度を築き上げた。

金氏は「本来、脊髄外科においては、歴史的にも整形外科と脳神経外科は対等の貢献をしてきました。日本では脳神経外科の初期には、一般(腹部) 外科から派生して脳にメスを向けることに中心的な関心であったために、脊髄脊椎の領域はおろそかにされがちでした。欧米では、神経内科から派生して、 黎明期から、神経症状の原因としての脊髄疾患が治療の対象として重要であったために、対照的に(脳) 神経外科の本来的な領域とされてきました。 国内のこの状況を是正するために、専門医制度を通して、医学界の中でも保健行政においても患者の側にも、脳神経外科と整形が並立していることを確立するのが、 大きな戦略目標でありました。たくさんの対立を乗り越える場面もありましたが、目的はほぼ達したと思われます」と記す。

日本脊髄外科学会の親学会である日本脳神経外科学会の理事長として金氏の取り組みを見守っていた東北大学参与の嘉山孝正氏は 「患者さんを思う志に関するエピソード」として次のように記している。

「先生は日本における脊椎脊髄外科は整形外科と協調はするが、 顕微鏡手術の細密さ等を考慮すると患者さんにとっては脳神経外科医が責任を負って治療すべきとのお考えです。 単に整形外科と競争する勢力争いというより、患者さんへの治療結果を基に議論を進めています」

「先生が日本脊髄外科学会の理事長の時に、社会的に日本脊髄外科学会を日本の脊椎脊髄外科医療の中心にされる活動に大変ご尽力されておりました。 特に専門医機構が創設され、専門医制度が国家認定に近い形になるに当たっては、大変なご貢献をされました。このエピソードに先生の社会人として生きるに当たっての志が出ていると思います。 自ら、時代の問題点を発掘され解決される稀有な方です。先生の志を表していると思います」

脳神経外科の脊髄外科学会と整形外科系の脊椎脊髄病学会が共通したプログラムで脊椎脊髄外科専門医制度が確立された。これは2つの基本的診療科を橋渡しする 専門医制度のモデルケース第1号として高く評価されている。


金氏は、脊椎脊髄外科専門医制度につながる脊髄外科学会の認定医・指導医制度の設立にも深く関わっている。 順天堂大学脳神経科先任准教授の尾原裕康氏は、認定医・指導医の審査を厳しくした意味を金氏に尋ねたエピソードを寄せている。

「脳神経外科学会内では脊椎脊髄外科認定医、指導医の資格基準を下げるべきという意見もあった中、 他科にそして世間に認められるまではquality control が必要という信念で敢えて基準を緩めなかったことがNSJ(日本脊髄外科学会) とJSSR (日本脊椎脊髄病学会)合同の脊椎脊髄外科専門医確立の結果に繋がったと今ならどなたも理解できます。 脳神経外科医が行う脊椎脊髄外科治療の立ち位置をきちんと確保した上で脳神経外科本体に若手脳神経外科医に働きかけNeurospinal surgeon (脊椎・脊髄を専門とする外科医)の育成をはかることは、回り道のようですが足元を見据えた進み方だと思います。 まだ世間の評価が十分とは言えなかった時期に現在にいたる地図を描いておられたのは驚きです」

金氏が米国留学から帰国後、共に東京逓信病院で医療に携わった同病院顧問の野口信氏は

「当時から学会の在り方、医療行政などにも持論をもち、大所、高所から脳神経外科について考えておられたこともとても印象に残っています。 これはアメリカに残ることも考えていたという金先生は、メイヨ―クリニックで師事したSundt教授から『君は日本に帰って東アジアの脳外科のために尽くしなさい』といわれたそうですが、 それが大いに影響していると思います」と記す。

日本脊髄外科学会の理事として金理事長を支えた慈泉会相澤病院脊椎・脊髄センター長の伊東清志氏は

「先生の脊髄外科への情熱を感じることになりました。私がつよく感じたのは、先生が、『私達の世代のため』、 『Neurospine の名の下に頑張っている神経外科医のため』に、長期的なビジョンのなか、学会を導いてくださった点です」と記す。

金氏は脊椎脊髄外科専門医制度実現への強い思いを明かしている。

「脳神経外科による脊髄外科を広めていこうとする中で、日本国内では伝統的にこの分野を担ってきた整形外科との対決のシーンは多く、 絶えず直面してきました。最終的には、専門医機構の脊椎脊髄外科専門医制度に脳神経外科と整形外科が全く対等に並列併記されました。 公式的にこの分野は脳神経外科医と整形外科医が並んで担うことが示されたわけです。よい手術をすれば、動きや痛み、 感覚の障害を回復させることのできる機能外科である脊髄外科に、脳神経外科医がその精緻な技術を発揮して貢献してほしい、 このやりがいある分野を目指す次世代の脳神経外科医が肩身の狭い思いをすることがないようにしたい、と願ってきました」



金氏が「私のキャリアのなかでももっとも印象に残る一幕であり、強烈な迫力の俳優の地の姿に触れられたのは貴重な体験でした」 と振り返るのは、名優緒形拳さんとの出会いだ。

緒形さんはドキュメンタリー番組撮影中、背骨を圧迫骨折した際、親友である俳優の津川雅彦さんに「信頼できる医師がいる」と紹介されたのが金氏だった。 治療後、仕事に復帰することができた。もともと持病があり1年後に容態が急変、近くの病院に搬送になる予定だったが、緒形さんの「金先生のところへ行きたい」という希望で、 横浜の自宅から獨協医大に搬送された。当時のマネージャー岡田満世氏が、その経緯を綴っている。 金氏によると、消化器の病で、消化器内科が治療にあたったという。

岡田氏は「緒形さんが役者としての人生を全うするために、金先生は『緒形さんが最高の状態でお仕事ができるよう全力でサポートします』 と言ってくださいました」と記す。

津川さんが所属したプロダクション「グランパパプロダクション」社長の土井弘子氏は 「大人のそれも結構偏屈な男たちに愛された金先生は、技術は勿論ですが、とびっきり人間力があるんだと、今、しみじみ感じています」 と記している。



脊髄外科の発展とともに金氏が情熱を傾けるのが音楽である。宇都宮音楽芸術財団を設立し、定期的に音楽会を主催している。

同財団の理事を務める学校法人須賀学園理事長の須賀英之氏は 「先生の音楽への造詣の深さと情愛を感じているのは、私だけではない。そのたぐいまれな音楽の才と倍音を即座に聴き分ける耳は、 『脳医学者だからこその神秘!』と申し上げたら、先生は苦笑されるだろうか」と記す。

金氏の音楽の造詣の深さを知るエピソードを東大医学部の同窓、東京逓信病院脳神経外科の張漢秀氏が記している。 「学会の帰り、新幹線の中での金氏との会話。「自分の葬式にどの音楽を流したいと思うか、と訊かれたのを憶えています。私は、 『そうですね、やはりフォーレのレクイエムですかねえ』と、月並みなことを答えたのですが、金先生は『私は、バッハの平均律曲集ですね』と答えられました。 私は、その瞬間、しまったと思うとともに、少しびっくりしました。平均律曲集は、私が最も愛する音楽なのに、自分が月並みな答えをしてしまったことを後悔 したとともに、金先生が、そこまでバッハを愛しておられるとは、それまで知らなかったからです。『平均律曲集には、人間の持つすべての感情がつまっていますね』 と、大いに共感することができたのは、とても嬉しい経験でした」

張氏の寄稿に対し金氏は「新幹線で一緒になったときにバッハのゴールドベルグ変奏曲を弦楽トリオで演奏した録音をお聴かせしたのを覚えています。 各声部を明瞭に聴きとれて対位法的な構造がよくわかる演奏でありまして、 張先生も原曲以上の素晴らしさに共感してくれたのを覚えています」と返礼文を寄せている。

ミュンヘンフィルの演奏家とともに


金氏は、2021年3月に獨協医科大学脳神経外科主任教授を退官。現在はJR宇都宮駅東口、宮みらい地区に開設したシンフォニー病院の代表として、 脳神経外科医による脊髄外科の拠点づくりに取り組む。 「大学退職後も、新しい医療機関を築いて、大学の脳神経外科教室以上の規模を作らなくてはいけない状況に自らを追い込み、 これに向かって集ってきてくれた仲間と共にまた走り出した」と記す。

金氏のもとで治療に向き合った太平洋セメント特別顧問の徳植桂治氏は「先生には教授、医師、経営者、文化人そして良き家庭人の顔があります。 それら全ての顔が“一流” のトップランナーであり、同時にそれら多様性が醸し出す高質な行動力こそ、 時代が求めるリーダーに相応しいと思います。その意味で、この度の退官は先生にとってはゴールではなく、 さらなる高みと熟達した頂点を目指すほんの一里塚であることは間違いありません。恐らく目指すゴールは、 私たち衆人・凡人に見える世界を超えていて、先生にしか描けない熟達の世界なのでしょう。 さて、これからどう仕上げていかれるのでしょうか、興味津々です」と記す。

脳腫瘍の治療が専門で金氏とともに獨協医大脳神経外科の発展に尽力した厚生労働省労働保険審査会委員の植木敬介氏は 「金先生の脳神経外科医としてのjourney は、これからも続いて行きます。 強い意志、知力、体力を保ち続けて、今後も開拓者であり、突破者であり続けられることを信じています」 と記す。


金氏は「まわりのコミュニティーそれぞれの皆様との交流は私自身の半生そのものです。 この冊子は何かが終わったまとめではなく、わたくしにとっては、さらに歩んでゆく方向を示してくれる道しるべ、 進み続ける勇気を与えてくれる里程標が詰まっています」と自らの思いを寄せている。

シンフォニー病院外観


書籍情報

・書籍名:『教えと学びと友情―半生の感謝―』 金彪 脳神経外科医 宇都宮脳脊髄センター シンフォニー病院代表 獨協医科大学脳神経外科主任教授退官記念

・発 行:金彪教授退官記念誌編集委員会

・編 集:有限会社アートセンターサカモト

・TEL : 028-621-7006

・ISBN 978-4-901165-40-2

・価格:5,500円(税込み)




金彪先生

金 彪

東京都出身。1980年、東京大学医学部医学科卒。東京大学病院脳神経外科で佐野圭司教授、三井記念病院脳神経外科で福島孝徳部長、東京都立神経病院脳神経外科で石島武一部長に師事。 84~89年、米メイヨークリニックで研修し、トラルフ・サント教授、デービット・ピープグラス教授、ポール・ヴァンフティ教授に師事。 メイヨー医科大学院博士課程修了。90年、東京大学脳神経外科助手。96年、獨協医科大学脳神経外科助教授。99年同主任教授。 2021年から宇都宮脳脊髄センター・シンフォニー病院代表。 専門は脊椎・脊髄外科、脳神経外科全般。日本脊髄外科学会指導医。2013~21年、同理事長。日本脳神経外科学会指導医。 15~21年、同理事。日本脳神経外科学会ガレヌス賞(1984年)、Congress of Neurological Surgeons(USA)Galbraith賞など受賞。 著書に『頸椎・頚髄のガイドブック』(メジカルビュー社)、『腰痛・坐骨神経痛・首の痛みが気になるときすぐに知りたいQ&A』(Gakken)など。


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